■2019年1月

東京マラソンのボランティア活動  東京・江東区 喜多村 勲 

 東京マラソンは、石原慎太郎都知事が市民マラソン構想を提唱し、平成19年に第一回目が開催されました。

 小生も定年後、社会貢献の一環として、68歳の時にボランティアの10年間実践の目標を掲げ、第二回目の開催から参加しました。

 最初の担当は、ランナーが来る前から大勢の観衆が揚所取りで溢れる銀座地区の「コース整理」で、三万名余のエリートランナー・市民ランナーが42.195キロを無事に完走出来るよう、また観衆の方々に事故の無いようランナー・観衆双方の安全に注意することですが、同時に自分自身の安全も守らなければならず、大変でした。

 東京マラソン開催は、毎年二月の寒い日(小雪、雨、寒風)に開催され、飲まず食わず八時間余の立ちっぱなしのコース整理でしたが、ランナーの中の障害者の方々の頑張る走りを身近に見て毎回感動し、逆に元気を貰い担当を全うすることが出来ました。

 国内外のランナーや観衆の皆様から「有り難う、ご苦労様」の感謝の言葉を沢山頂き、 また、東京マラソンボランティアの対応は世界一とのお誉めの言葉を頂き、一万名の仲間の励みになり、来年も元気に頑張ろうと誓い合いました。

 後期高齢を迎えた時、娘二人にも参加してもらいました。娘たちの参加目的は小生の心配=介護?もあったとのことでしたが、親子で四年間一緒に楽しくボランティアが出来たことは、大変嬉しく良い思い出となっております。お蔭様で健康にも恵まれ、約30万余名の市民・エリートランナー・大勢の観衆の手助けとなることができ、平成30年大会で念願の10年間の目標を達成することが出来ました。

 これからは、一般観衆として元気に応援して行きたいと思っております。





傾聴ボランティアのススメ  東京・八王子市 木下 敏夫

定年を迎えて初めてボランティア活動を始めました。

傾聴ボランティアは、「話し相手」になってあげることなのですが、ただ「話し相手」になるだけではなく、昔の体験を思い出してもらい、「自信」を取り戻して「生きる活力」を持ってもらうことが狙いなのだそうです。

老人ホームを訪問していくと、まったく身寄りがなく、寂しく生活している人がいます。

周囲の人と話そうともせず、ただテレビを見ているだけ!声を出すのではヘルパーさんにものを頼む時ぐらい……!

ところが、そんな人でも急にしゃべりだすこともあります。いくつかの例を挙げてみましょう。

*    *    *

 私は現役の勤務の時は地方勤務が多く、3年に一度は転勤させられていました。

 それが今、傾聴活動に役立っています。

 私が訪問する老人ホームは東京の八王子にありますが、利用者さんは全国から来ています。

80歳くらいのOさんは、神戸の出身です。

 関西弁を気にしているのか周囲の人とあまり話しません。私が関西弁で話しかけると喜んで神戸や六甲山の話をしてきます。

*    *    *

●やっぱり80歳くらいのTさん(女)は、まったく目が見えません。車イスに座って前を向いているだけです。Tさんと話をすると、秋田県大館のアメ市の時期の寒かった話題になります。

 目が不自由だと周囲の人と話す話題も無いようで、一生懸命話してきます。

*    *    *

●北海道のSさん(女)は、釧路でタオルを濡らしてクルクル回すと冬は凍ってしまう話……

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どうか皆さんも傾聴活動を始めてみてください。思いがけない“感動”に会えるかもしれません。



上高地公園ボランティア活動に参加して  長野・松本市 溝口 清志

パークボランティアとは「国立公園の美しい自然を保護しつつ適正な利用普及と啓発活動に協力参加する人々である」とのことですが、山が好きで、酒が好きで、上高地が好きで「美しい大自然を後世に残そう」と思う者の集まりでもあります。

 活動の主な内容として、春は開山に向けて歩道の除雪、園路の水抜きなど来訪者を迎えるための準備にとりかかります。4月中頃になると観光客が多数来るようになり、またこの時期には台湾、香港、中国等から多くの人たちが訪れます。大正池でバスを下車し、河童橋まで約1時間の歩行ですが、足場が悪いと大変です。また雪を見るのが始めてなのか、大騒ぎで時々除雪の手伝いをしてくれます。積雪がなくなると園地周辺の外来植物調査及び除去を行います。

上高地地域では約50種の外来植物が侵入していることが確認されています。これと同時に野生動物対策としてサル・カモなどの人慣れを防ぐために追い払いを行います。近年野生のサルが増加傾向とのことです。観光客が至近距離で写真撮影を行いますが、撮影終了後は山へ追い払います。しかし、一部の猿は残念ながら凶暴化しつつあります。

また活動の一つとして自然解説を行います。ガイドウォーク、学校ガイド、ミニトーク等があります。5月から7月にかけては学校ガイドを行います。中学1年生20名程度をそれぞれボランティア仲間が担当して、明神池または大正池方面へのガイドを行います。先ず「国立公園の規則」、「上高地の五つのルール」等を説明し、上高地の成り立ちなどを話しながら、山々の名称、草花、樹木、岩石の種類などを解説しつつ、約4時間の行程で次の目的地まで引率します。ガイドを始めた当初は草花、樹木の名前を知らず、猛勉強でした。

また、運よく猿の群れに会うこともあります。春先残雪のある3,000メートル級の山々と梓川の清流、「化粧やなぎの芽吹き」、「コナシの花」、「徳沢の二輪草の群落」等、中学生には目に焼き付いたことでしょう。

私にとって孫と同年齢の子供たちでもあり、楽しみながらのガイド活動です。その他の活動として巡視、環境省及び自然公園財団が主催する行事の実施、各センターでのカウンター案内、展示解説などがあります。

今年でボランティア活動も7年目になりますが、体力がいつまで続くか心配です。




■2018年1月

高円寺子ども食堂 心身ともにすこやかな成長を願って 石川 千明さん

東京・中野区


子どもの貧困

 現代は飽食の時代と言われながら、ワンコインを渡されてコンビニで弁当を買って一人で食事する子ども、さらにはお菓子を夕食がわりにしている子どもが少なくないといわれています。18歳未満の6人に1人が貧困状態という「子どもの貧困」は目に見えにくい中で、深刻さを増しています。子どもから高齢者まで広がる孤独な「孤食」は人の心がすさむ原因の一つになっています。
 その子どもたちが一人で来ても温かい食事が提供される「子ども食堂」が今、各地で出来ているとの報道で知りました。私は昭和13年生まれですが、戦前から敗戦後にかけての7年間位随分「ひもじい」思いをしました。その「ひもじさ」を今も毎日感じている子どもがいるということを知り驚きでしたし、それを解消しようとして「子ども食堂」が始まっていることを知り感動し、私も是非「食堂」を始めたいと思いました。

子ども食堂の開設

 資金と場所と人手についてどうしたら良いか1年半ほど悩み、考え続け、既に開設している数ヵ所の「食堂」へ見学に行き、いろいろ教えていただきました。資金と人手は寄付のお願いとボランティアの募集で賄うこととし、場所探しをした結果、家賃なしで教会(カトリック東京大司教区高円寺教会)の使用許可をいただくことができ、2016年5月21日(土)昼12時に開店することができました。この日のメニューは「ロコモコとコーンスープとゼリー」でした。来店者は44名、調理等のボランティアとして16名が来てくださり、盛況のうちにスタートすることが出来ました。

子どもから高齢者の方へも

 その後、来てくださる方の人数も当初の3035人(うち子どもは1516人)から、60名前後になりました。来店者の内訳は子どもが45%くらい、あとは親御さん・高齢者の方・障害をお持ちの方・見学者の方等です。最初、「本当に食事を必要としている子どもたち」が来てくれているのだろうかと悩みましたが、いろいろと考えた末、そういう子どもだけにこだわらず、子どもも、高齢者も、若者も、障がいのある方も食堂へ来ておいしい食事をとって満足してくれる、そして来てくれた方が何回か来るうちに「食堂」が欠かせない場所となってくれれば良いのではないか、性急に思っていた食堂にならないからと焦らないで、気長に運営して行こうと決めました。

暖かい支援

お陰様で最高の場所をお借りでき、教会内ばかりではなく教会外からも多くの方々のご支援をいただいて1年以上が経過しましたが、その間、多くの方々や企業からもご支援をいただき、本当に感謝しております。当初は来店者一律に300円をいただいておりましたが、幼児から高校生までは無料にすることも出来ました。

 おいしいご飯をお腹一杯食べることによって大きな幸福感を子どもたちは持つと思います。スタッフの方たちと研究・努力して豪華でなくともおいしい食事作りをしたいと考えております。まだまだ道半ばです。子どもたち・高齢者の方々・障害者の方々・いろいろな方々が来てくださり地域に密着した食堂を、なんとしても軌道に乗せたいと思っております。
   http://www.koenji-kodomo.net/kk-kitchen.html


中学校のボランティア先生  水上 健   

宮城県・柴田町  

 現在宮城県柴田町の「学校支援ボランティア」として、船迫中学校、後に船岡中学校でラベンダーの栽培指導をしています。

 定年後自宅に庭を作り、富良野で見たラベンダーの印象が強くラベンダー畑を作った。三株から増やし現在百株以上に
なっている。


 毎年七月には地元の同級生や地域の仲間が集まってバーベキューパーティをしている。

 柴田町の事業の一つに「花のまちフラワースクール事業」があり、船迫中学校よりラベンダー栽培指導の依頼があった。東日本大震災の直後で、私は一月に手術をして体調も完全ではなかったが気分転換と思い引き受けた。 

 ラベンダーは慣れてくれば挿し木で簡単に増やすことができ、丈夫で育てやすい植物で
すが、手入れを間違うと枯れやすい。作業するのは土いじりの経験のない中学一年生。技術の授業でやるが先生も生徒も初めてであり育て方や手入れについても解らない。そこでいかに簡単にして、活着の確率を高めるかを考えた。挿し木して発根まで約一ヶ月間毎日の水やりは当番を決めて生徒にやって貰う。作業時の助手として妻にも手伝って貰った。結果は百五十本挿し木して枯れたのは数本のみ。花が咲いた時には校長先生も満足顔。

 出来た苗の一本は各白持ち帰り、他は学校に植える。校舎と校庭は2m位の段差があり
出来た苗の一本は各白持ち帰
り、他は学校に植える。校舎と校庭は2m位の段差があり法面の上に120m列植した。 冬でも緑があり花が咲くと紫のうねが特に壮観です。花を利用してラベンダースティックやポプリ等の作り方も指導している。船迫中は「ラベンダーの香りただよう学校」となっている。学校には植え終わり、その後被災地の仮設住宅訪問時のお上産や生徒の体験学習訪問時のお礼として利用。又近くの公共施設の景観として植付け利用している。これから何年出来るか又苗をどこに植えるか等思案所です。

*平成二十六年四月に宮城県教育委員会より「協働教育推進功績表彰」を受けました。


豊四季の木釘(きくぎ)   染谷 幸弘

千葉・柏市

 木釘とは幹の中が空洞になっているウツギの木で作られた釘のことで、高級な和だんすなどの組み立てに欠かせないもので、木釘を用いて組み立てられた家具などは、どこに釘が使われているのかわからないほど、見た目も手触りも美しい仕上がりになります。

 豊四季は千葉県柏市にあります。豊四季は、明治維新になり地位と職を失った武士や武家の奉公人の処遇に困った明治政府が、救済政策としてそれらの人々を入植させ、土地開墾を図った地であり、明治2年(1869年)に開墾移住の北島善十郎が、木釘作りの副業を奨励したことが始まりと言われています。以後、「豊四季の木釘」と呼ばれ、全国に通用するブランドでした。

木釘は、桐ダンスなどの家具に欠かせないもので、明治以来昭和30年頃まで約60戸の農家が生産し、全国の需要の大部分を占めて、文字どおり豊四季の特産品でした。しかしながら、洋家具の普及と強力な接着剤の登場で需要は激減しました。農家の60歳以上の人はほとんどが、木釘づくりを体験していますが、専業として成り立たず、後継者もなく、日本伝統工芸として消えて行く運命にありました。

私も、ふと気が付くと豊四季で木釘を削る風景が失われている事に思い当たり、町会の仕事かたがた、かつて木釘を作っていた農家を訪ね歩き、木釘作りに関わった体験者や遺族の方々から話をうかがうことが出来ました。そこでは木釘を作るための道具類もほとんど廃棄されており、保存の必要性を痛切に感じ、木釘保存会を立ち上げるに至りました。納屋の隅っこにわずかに残る真っ赤に錆びた鋼製の小刀などの道具類や、完成品の木釘などを皆さん快く持ち寄って頂き、蒐集することができました。

さらに町会はもとより、地域の文化財産として市役所文化課の協力も頂くことができ、今後は地元のイベントなどで豊四季の木釘の歴史などを展示紹介していきたいと思っています。

柏市豊四季・富士見町会・木釘保存会事務局 染谷 幸弘



■2017年1月

特別養護老人ホーム等にボランティアを行って  松倉 武司さん

京都・宇治市 

 平成201月に社会福祉法人「こころの家族」が新しく京都に特別養護老人ホーム「故郷の家・京都」を設立され(以降、特養京都と省略)、私の母親が91歳で入所することが出来ました。母親が入所してから毎週1回は訪問し、外部の者の目から見て気が付いたことを話し、いろいろと改善していただきました。

 2年ほど経過した折に、新しく入所された方が車椅子のブレーキレバーにラップの芯を差し込んで操作しておられましたが、ラップの芯の上も下も大変痛んでおりました。そこで特養京都の厨房で出るラップの芯をいただき、新しいものを作ろうと思い立ちましたが、業務用のラップの芯は家庭用とは長さも厚さも異なるため、加工には八つ程の工程が必要となりました。

 「安全」「堅牢」「見栄え」を考えて加工したブレーキレバーのカバーを使って頂いたところ、楽な姿勢と軽い力で車椅子の操作が出来ると喜んで頂け、作り続けることとなりました。2ヶ月に1回ラップの芯を頂いて2週間後に完成した品物を届ける事を2年程続け、定員160名の方々が必要とする数をお贈りすることができました。

 その後、私に癌が見つかり治癒しましたが、再発の可能性も有るとのことでモチベーションを高めるため特養京都にボランテアの再開をお願いするとともに、併せて他の三か所の特養でもお使いいただけることとなりました。

さらにデイサービス事業所へのボランティア拡大を検討し、デイサービスに併設されている包括支援センター長に相談に伺ったところ、車椅子の利用者よりも杖を使う方が多く、椅子に杖を立てておく筒を作ってほしいと依頼されました。そこでホームセンターで塩化ビニールの筒を購入し加工することにしましたが、手元の木材用の工具では加工できず、特別の工具も購人することとなりました。しかし苦労が実を結び、宇治市内の全ての事業所でご利用いただけることなり、今後も継続して贈っていきたいと思っています。

 その後、特養京都の施設長が転勤されて、ブレーキレバーの筒は大阪や神戸の特養でも利用いただける事となりました。またデイサービスを開設されている大阪、神戸の特養でも杖用の筒をお使いいただけるようにお贈りしました。

 特に記録をしておりませんがブレーキレバーの筒は800組1600本、杖用筒は250本程をお贈りしたと思います
 (28年5月現在)。

 今後は、さらに他の特養への贈呈を新規に行っていきたいと思っています。




■2016年4月

井の頭恩賜公園のかいぼりと湧水   神 孝之さん

東京・武蔵野市 

 中央線吉祥寺駅から徒歩5分の場所にある、大正6年(1917年)に日本初の郊外型公園として開園された井の頭恩賜公園は、春は水面に垂れる桜の花が、秋には紅葉が観賞でき、今なお武蔵野の面影を色濃く残す都民の憩いの場所として親しまれています。
 この井の頭恩賜公園は平成29年5月に開園100周年を迎えますが、そのイベントの一つとして平成25年と昨年にかいぼりが行われました。かいぼりは来年にも予定され、合計3回行われます。「かいぼり」とは農地等のため池で、農閑期に水を抜き、魚を捕獲したり、護岸の補修や点検を行うことでため池の機能を維持することです。近年では水質改善や外来種の駆除による生態系の回復を目指す目的で都市部の公園などでも行われています。井の頭恩賜公園でも池の水の水質浄化と、ブラックバスやブルーギルなどの外来種の生物を駆除して、井の頭池に本来棲む在来種の保護を目的として行われました。
 昨年12月から今年3月まで行われた第2回目のかいぼりでは、池を優雅に泳ぐ鯉が処分されてしまいました。鯉は池の大事な水草や生まれたばかりの稚魚や魚の卵を食べてしまうこと、また鯉の汚物で池の水質が悪化すること、ましてや錦鯉は人工的に造られ本来は井の頭公園には生存していなかったことがその理由ですが、残念でなりません。
 100周年関係のイベントのメンバーに加わっていますが、井の頭池を鯉が優雅に泳ぐ姿には心が慰められ、処分には反対してきました。しかしながら全くの少数意見であり、鯉を処分しないことには3回もかいぼりを行う意味がないとの意見が多数を占めてしまい、とても残念です。
 また、井の頭池はかつて湧水を水源としており、七つの井戸から豊かな水が湧き上がっていました。しかし、昭和に入り周辺の多摩地区では急速に宅地化が進み、マンションの建設や道路のコンクリート舗装の影響で、もはや大量の湧水はなくなったと語り継がれていました。ところが、昨年11月から今年1月にかけて、今回初めてかいぼりを行った弁天池では、排水をしてもなかなか水位が下がらないという事態になりました。原因の一つは、弁天池を中心に池底の至る所からこんこんと湧き出る湧水でした。
 想像以上の湧水の大きな原因は、多摩地区の各市が数十年前から取り組んできた雨水‐ウスイ‐(浸透)マス設置の効果ではないかと考えています。「雨水(浸透)マス」は、建物の屋根に降った雨水を集めて徐々に地面に浸み込ませることで、豪雨の際にも雨水を貯留し、下水道管に流れ込む量を減らすことができます。そのため、下水道管の処理能力を超えることにより起こる浸水も軽減することができます。また、雨水が徐々に地中に浸み込むことで、地下水の確保や湧水の復活など環境保全のメリットがあります。この結果、雨水が豊かに地下に溜まるようになり、それが弁天池の豊富な湧水につながったものと推察しています。井の頭公園が位置する武蔵野・三鷹の両市では、行政の補助もあり、建造物の数より多い雨水(浸透)マスが設置されていて、大きな効果を上げています。また、近隣の小金井市では、その設置率は世界一といわれています。
 東京湾の水質は緩やかながらも改善しつつあります。三方を陸に囲まれた閉鎖的な東京湾の美しい海を取り戻すには、東京湾に流れ込む多摩川をはじめ隅田川、江戸川、荒川などの河川の水質が大きく影響します。因果関係が証明されているわけではありませんが、東京西部の多摩地区に潤沢に溜まった滋養のある地下水が井の頭池に注ぎ込み、井の頭池を水源とする神田川から隅田川に流れ、東京湾に注ぎ込むことで東京湾のプランクトンや魚類などの海洋生物に良い影響を与えているのではないでしょうか。




■2016年1月

つりびな墨俣小町めぐり       遠山 志女子さん

岐阜県・大垣市 
 

 私の住む町墨俣町は平成18年に大垣市と合併しました。大垣市には大垣城、墨俣町にも墨俣一夜城(現在資料館)と、二つの城がある市となりました。
 墨俣町は人口5千人足らずの小さな町です。合併して2年目、墨俣地域事務所に女性の二代目所長が赴任されました。私が安田生命に勤務した時の団体基盤先である大垣市役所から赴任されたM所長とは顔見知りで、早速相談と依頼がありました。墨俣には一夜城という観光名所があるけれど、名物のみやげがないので「墨俣名物」を考える会を作りたい。そこで女性ばかりのボランティア活動グループを立ち上げたいので地元の女性を15名集めて欲しい、ということでした。
 そこで、新しいことに取り組み、永く続けるためには若い人たちにメンバーになってもらうことが必要だと思い、フレッシュな感覚で運営できる人達を15名集めてスタートしました。グループ名は「いき粋墨俣創成プロジェクト」と決め、美濃路沿いにある酒造業を営んでおられた脇本陣のご当主に協力頂き、みやげ処「美濃路墨俣宿脇本陣」も立ち上げました。みやげの名前は酒造業に因み「酒万十」とか、大昔は長良川に橋がないため舟をつないで人々やゾウも渡したことに因んで「浮橋」(お抹茶に合うしっとりとしたお菓子)とか、「麩せんべい」(化粧砂糖を施して一夜城の絵や桜の花の絵、つりびな飾りの絵などが彩られているお菓子)などと名付け、手作り和雑貨と一緒に店頭に並べました。
 翌年、グループの活動が軌道に乗り始めた頃、大垣市制90周年記念事業が行われました。その中に「手作り事業」の募集があり、私達は「つりびな」を作って町の中に人を呼び込むための「つりびな小町巡り」で応募しました。最初は知人のKさんに「つりびな」の作り方を教わりました。材料は着なくなった若い頃の着物などです。自分達で持ち寄ったり頂いたりした着物をほどいてメンバーで一つひとつ縫ってゆきました。一年目は町の中のお店屋さん10軒程に飾っていただきましたが、毎年毎年増えて今年は32か所になりました。「つりびな」飾りが飾ってある家の前にスタンプ台を置いて、「いきいき墨俣小町めぐり」のスタンプラリーを展開しています。
 今年で8年目となった「いきいき墨俣小町めぐり」ですが、毎年3月3日の「ひな祭」を挟んで前後2週間、休みなく開催しています。いつも静かな町の中がたくさんの人で賑わいます。段々と観光客も増えて今年は約2万人の人達に来て頂きました。
 「ひな祭り」が終わると翌年の「テーマ」を決めてまたスタートです。「つりびな」飾りは古い絹地に拘り、色とりどりで、観た方は自分の孫にも作ってあげたいとの希望も多く、今では当店(私の店です)で「つりびな」作り教室も始めました。着なくなった着物を再利用して手仕事で作り上げる作業は飽きる事はありません。これからも皆さんに喜んでいただける事業として「いきいき墨俣小町めぐり」の更なる充実と発展を目指して行きたいと思っています。

スポーツ吹き矢教室        下ノ村 勲さん

山口県・萩市 
 

 萩市は、地理的には山口県の北部、日本海に面し、東は島根県、南東部は山口市と接し、面積は県の11.4%を占める広い市です。
 歴史的には、約4百年前に形成された城下町のたたずまいが今日まで継承されており、いまも「江戸時代の古地図がそのまま使えるまち」となっています。また、幕末には吉田松陰、木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文など維新の志士たちを数多く輩出し、生誕地や旧宅などの史跡が各所に残っています。平成27年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の舞台となったことでも全国的に有名となりました。
 そんな萩に広島より移住してきて2年が過ぎました。広島では72歳から健康のためにスポーツ吹矢を始めました。スポーツ吹矢とは、5~10m離れた円形の的をめがけて息を使って矢を放ち、その得点を競うスポーツです。 性別・年齢問わず誰でも手軽にでき、ゲーム感覚で楽しみながら健康になれるスポーツとして注目されています。また腹式呼吸をベースにしたスポーツ吹矢式呼吸法も注目をされています。
 初めは山口市へ片道1時間かけて出かけ練習をしていましたが、萩市文化・スポーツ振興部を紹介していただき、「萩市で初めてのスポーツ吹矢体験!」と銘打って、平成26年10月17日・24日・31日と体験会を3回実施しました(萩市報に掲載されました)。
 平成27年4月には萩スポーツ吹矢愛好会を立ち上げ、5月15日には一般社団法人日本スポーツ吹矢協会より山口県スポーツ吹矢協会「萩・夏みかん支部」の支部長に任命され、地元の新聞やテレビにも報道されました。今では萩市の生涯学習推進プランの「生涯スポーツ・健康づくり」にも取り上げられています。これも萩のお蔭と思い、感謝しながら公民館活動・スポーツ活動を行っています。





■2015年4月

幸せのボール         玉置 幸子さん

名古屋市・名東区 
 

 この幸せのボールは、私の長年の友人で名古屋市中川区にお住いの渡辺友美さんが作られました。友美さんは5年前に患ったリュウマチの療養中で、車椅子の生活です。ご主人の手助けが無ければ外出もできない状態です。
友美さんは、毎日の楽しみのひとつ、生き甲斐としてこの幸せのボールを心込めて作り、差し上げた人達の笑顔に元気付けられていると言っています。
このボールには12個の穴があり、どの穴から見ても向こう側がはっきり見通せる、とても縁起の良い美しい折り紙のボールです。傍に置くだけで幸せがやってきます。1個作るのに材料費が約300円位と彼女で2時間位の手間がかかるそうです。最初は新聞の広告紙で作っていましたが、3年位前から千代紙に変えてからは一層美しいボールとなり、現在も続いています。
 このボールを社友会中部支部の懇親会に出席の皆さんにお配りして3年になります。その皆さんは玄関、机上、仏壇等に置かれて癒されていると聞きました。私のお客様には目の付きやすい玄関、ショーウインドウの中、銀行や病院の受付カウンター等に置いていただいており、沢山の人からお喜びの声を頂戴しております。微力ですが少しでも彼女の手助けになるよう、資金の一部にと「幸せのボール」の購入・配布をしてまいりました。これからも彼女と共に頑張り、励まし合っていきたいと思っています。



本卦還りの人生        中村 幸司さん

仙台市・太白区 
 

 私の故里(岩手県北三陸地方)では60歳還暦を迎えることを「本(ほん)卦還り(けがえり)」と云います。60年かけてこれまで歩んできた人生の干支を振り出しに戻す。人生の時間の流れカウンターを改めてゼロに戻し、再スタートをさせること。これまではその意味がさほど気にならなかったのですが、何故かこの頃しみじみと感じられます。人生には振り出しはない!と考えていましたから……。
 60歳になって初めて、それまでに経験したことのない人生を体験してみたいと気付きました。本卦に還ってみて、これからの人生を如何に送るか、自分なりに静かに考えてみました。そして、今自分にできること、取り組んでみたいことをやってみよう!と決意しました。
 その一つは、身近な里山の自然に接することでした。その頃市民センターで会員を募集していた自然探索会に入会し、身近な植物や動物に接する機会をもちました。続いて、近くの仙台市野草園や動物園の友の会に入会し、会のサポーターの活動をお手伝いいたしました。そのうち特に興味をもったものは野鳥の観察です。これまで見たことがない小鳥たちの動きがレンズを通してはっきりと分かります。感動の連続です。もっと早く、できたら子供の頃からでも親しんでいれば……と気付きました。現在の活動の主体は「八木山自然を探る会」の月1回定例観察会と「日本野鳥の会」の活動です。「探る会」(会員80名)では近くの2つの小学校の自然観察会のお手伝いも続けております。そして年末には文集「四季のたより」(A3/5頁)を発行します。その年に出会った動植物の写真・スケッチなどを持ち寄って投稿編集します。今年で25回になりました。
 もう一つ、私の人生に欠かせないのは水彩画の創作です。公募展年3回、その他サークル展が大体4~5回。毎年春にやって参ります。日本水彩展、宮城水彩展、そして河北展などです。春は一喜一憂の世界を過ごします。ただ目標に向かって歩いた者たちが達成観を味わうための単なる出来事にすぎませんが……。




■2015年1月

趣味を生かして田畑を護る   吉田 誠二さん

福島県・いわき市 
 

 定年後 オリンピックの種目である射撃を無性にしたくなり銃砲店を訪問公安委員会による講習、試験、実技そして身元調査が済んで銃所持許可と成りました。平成14年9月の事でした。

 その後40分掛けて射撃場に通いトラップ、スキート、ダブルトラップと練習に励んだ結果競技大会に於いてトラップとスキート部門に於いて満射(発射されたクレーに全部あてること)することが出来競技大会においても福島県人会迄参加する事が出来ました。猟友会に入った時期平成14年11月の事、詳しく書くと一般社団法入大目本猟友会社団法入福島県猟友会平支部四倉分会に入会いたしました。

 一番ワクワクした猟は猪の巻狩りでメンバーは隊長、勢子、イヌ、射撃手が多数で山を囲む、勢子イヌが追いだした猪を射撃手として待つ、この間全神経を銃に集中し猪に見つからない様に身体を伏せる、来た畑と山の間に姿が見える100メートルか、
もっと近づくのを待つ60メートルぐらいで急に反転し逃げ出した、急いで3発撃つたが逃げられしまった、その後寝屋でかくれている所を勢子とイヌに発見され犬と格闘になったが勢子に急所を撃たれ絶命、犬は重傷をおった、私の弾は2発ほど背中に命中していたがあまり影響しなかったようです、しばらくして繁みの中30メートル先何かが動いているタヌキか、私の方に向かって進んでくる2匹で可愛い模様が入ったイノシシである瓜坊だった私の側面を急ぎ足で去っていった、当然仲間には内緒でした。

 イノシシの数が多いため巻狩りだけでは農作物保護も成り立たず耕作放棄地も多く原野に戻ってしまうのではないかと考えさせられました、のでイノシシの通り道に仕掛けます、早速水田を荒すイノシシを退治してほしいと依頼が有り猪の進人路が山側にあった為くくり罠を仕掛け3頭捕獲、銃殺し水田は守る事できました、なぜ銃殺か、それは槍等で突いて苦しめないように銃で急所を撃ち一発で仕留めて下さいとの要請があつたからです。次に市と猟友会から大きな箱罠を3個借りる事が出来ました、縦120センチ横70センチ長さ140センチふたは両開きです、罠は個人プレイの為寂しいですが沢山捕獲する事が出来ました、人も電気さく等の強力な防護柵で対抗しておりますがイノシシも学習能力が高く罠には掛らなく成って来ており農家の人との打ち合わせによりだいぶ親しく成り力仕事等頼まれるのでマイツター

今年も(平成27年3月まで)いわき市の捕獲要請は1500頭ですが平成26年9月現在900頭まで捕獲されております。




人生の第二ステージは元気で楽しく   中山 照彦さん

兵庫県・神戸市 
 

 「光陰矢の如し」と言われますが、高齢になればなるほど、そのスピードは増すように感じられます。ついこの間定年を迎えたように思いますが、振り返るともう15年も経っています。定年の23年前から、第二の人生はどう過ごしたら楽しいか?色々なセミナーに参加しました。その結論として「自分が本当に好きなことをして、それが少しでも人のために役立つ事」でした。

◎自分の好きな事を見つけたきっかけ
 私か5歳の頃、父親が戦死し残された子供4人を母が育てましたので、経済的には苦しい思い出です。おもちゃなど欲しくても子供ながら言い出せなくて、物置の中に有った「大工道具」を使って、おもちゃや、棚など家に必要なものを作って母にほめられたのが、きっかけのように思います。

◎その後も無意識で日曜大工を続けた
 ものづくりの楽しさが無意識的に身に沁みこんで、大工仕事をしていると時間の過ぎるのも感じないと思われ、これが私の本当に好きなことと思えた。定年を待ってすぐに職業訓練所(国立加古川ポリテクセンター)で6か月修行をし、2000年4月に「こもれび工房」を立ち上げました。

◎初期の活動
 「こもれび工房」の設立主旨の一つ「自然環境の保全」の観点から、放置されている山林の間伐材を活用した木工製品を製作販売を計画しました。兵庫県北部の氷上町森林組合の協力を取り付け、仲間3人を連れ現地に行き、間伐作業、トラックでの輸送、工房で製材までレクリエーション感覚でのんびり楽しみ仕事をやってました。販売の方は、工房の近くで「庭づくり」の好きな「花ネット神戸」と言うボランティア団体に加入し、間伐材を活用したプランターを売り込んだのが初期の活動でした。

◎現在の活動
 小さな大工仕事から住宅や事務所の改修などほとんど口コミで広がり、多くの顧客やボランティア団体や工事業者、行政(社会福祉協議会、まちづくり推進課)など若い人から高齢者まで多くの知り合いができました。そこそこ忙しくボケ防止良いと自分に言い聞かせています。また最近は、子供たちに「物づくりの楽しさ」を教える「木工教室」の人気が出て、夏休みを中心に色んなところからオファーを受け嬉しい悲鳴を上げています。しかし75歳を過ぎると寄る歳波を感じるようになりゴールが見えてきたような気がしています。とにかく健康で楽しい生活を送ってポックリ行きたいものです。

■2014年4月

「お弁当配り」のふれあい   野口 功さん

鳥取県・西伯郡伯耆町 
 

「俳句の会には何十年も通っているよ」と元住職の内儀、「夫が生前、退職後に造園した庭だよ」と誇らしげに教えてくれる団地に住む老女、「有難う」と不自由な言葉でお礼を言われる耳の不自由な高齢男子、「大阪で結婚式場を経営してたよ」と過去を懐かしむ別荘地の高齢者ご夫婦、様々な出会いがあり沢山の知識や経験を教えてくれます。

定年後、地域のために何かお手伝い出来ればと始めて7年、火・水曜日が「弁当配り」の日。かかわった高齢者は30人を超えます。一番のご馳走である暖かい昼食は、出来上がってから素早く配送することが大切です。

 弁当を作る人・運ぶ人・食べる人も高齢者です。弁当を作る人の中に家内が参画していることは後から知りました。

 わが県は全国の都道府県の中で面積・人口とも最少県、聞いたことはあるけど何処にあるのか解らない鳥取県です。

 私が住んでいる「伯耆町」は人口11452人、高齢者率32%で乗り合いバスも廃止となり、町営バスが唯一の公共交通機関です。車に乗れない高齢者は買物にも行けません。わが家からコンビニまで3キロと不便な山村です。他人事ではなく、数年もするとわが身、そんなことを考えながら今日も高齢者宅を廻ります。

弁当を配達してもらうのも有難いと思いますが、一日中テレビとにらめっこの高齢者は、たわいないお話が出来ることが楽しみのようです。

 高齢者は総じて気が短く、我が侭な人が多いと感じます。配達ボランティアの人の性格が分からず、急に怒ったり、難題をぶつける人がありますが、そんな人こそ長い付き合いの出来る人です。幸いなことに現役時代に培った経験を生かし、さまざまな性格への対応は得意とするところ、私も楽しみながら配達させてもらっています。

食生活改善委員として   野村 喜美子さん

京都・宇治市 
 

 定年退職後は地域で活動をと願っておりました。それまでの25年間、宇治は寝に帰る処の生活で、地域とのつながりがありませんでした。幸せなことに、宇治市が食生活改善推進員の養成講座の募集があり、定年まで重なりますが、会社の許しを得て会員にしていただきました。

昭和60年に養成講座修了生が中心となり「若葉の会」として発足した会も、今年は三十周年を迎える準備をしております。

 会員の研修活動、市の委託協力事業のほか、男性(女性)対象の「ヘルシークッキング教室」、「子育て講座」、小学校~高校への「出前料理教室」、「健やかサポーター講座」など、年間100回以上もの多彩な地区活動を推進しています。さらに、健康的で栄養バランスを考えた「献立集」も数冊発行しています。

 会員数は100名あまりで、食生活改善のボランティアグループとして活動しています。



■2014年1月

磯田氏と私のコラボ   小原 昭彦さん

名古屋市・港区 
 

 磯田氏はそば打ちを始めて8年になる。「日本手打そば保存会」に所属し全麺協の3段位の認定を得て、ボランティア活動やイベントに参加している。(本誌のふれあい広場で紹介)

 中部支部の仲間29人程と4月の花見の時期にその手打そばを過去3度頂いた。

大変美味しいと好評を得て、今や恒例の行事と成っております。桜の開花予想が難しい昨今メインは「花よりそば」で開花も天気も気を遣わなくて助かっています。

 私の隣は留学生会館で留学生との交流が始まったのは6年前になります。

 そんな縁もあり留学生に「手打ちそば」を“体験させてもらえないだろうか”と磯田氏に相談したところ快く引き受けてくれました。

 ドイツ、フランス、中国、韓国の留学生達に「そば打ち体験の会」の話をしたところ大変興味を示し会館事務所に企画書を提出し承認され7月12日(金)と決まりました。当日は時間の関係もありあらかじめ16人分のそばを打っておいてくれました。

体験は6名1組で2チームに分かれて行いました。麺玉を手で延し次に麺棒で均一に延し、たたんで切ります。名古屋風にきしめんもありましたが拍手喝さいでした。自分たちで打ったそば、磯田氏の均一のそば、を「うまい!」「美味しい!」と声も上がり、4杯も平らげた女性もありアッと云う間に完食となりました。

後日、留学生から感想文が寄せられた。

トム君(ドイツ)

7月12日に留学生会館でそば打ち大会というイベントがあって、感想を述べたいと思います。イベントはただそばを食べるだけではなく、みんなが自分で最初からそばを作って切っる体験ができたと思います。そばを作った先生は春日井から来てきてくれました。先生は例えばどうやってそばを切るかを分れやすく説明してくれたおかげで留学生のみなさんはそばをうまく切れました。しかし先生はそばを切るのが速くて、もちろんとても上手でしたから、職人技を見ることができました。そばを打ってから冷やしぶっかけそばをおいしく食べました。始めての体験だったので私たちにはとても印象的なイベントになりました。

邵(ショウ)君(中国)

そば打ち体験会に参加してとても楽しかったです。そば打ちは人生初体験です。今までテレブでそばを作る風景は何度も見たことがありました。面の塊から平にするのは一見簡単そうに見えましたが実際やってみるとその難しさが分りました。またうまく平らにしても切る均一の間隔が取れず、うどんみたいなものまでやってしまったこともあった。形が変にもかかわらず出来上がったそばはとても美味しかったです。その後、磯田先生が作ったそばも出来あがって、みんなと一緒に食べ比べました。さすがそば職人さんが作った、今まで食べたことがない、想像を絶するほどうまかったです。磯田先生に詳しい作り方を聞くと、職人さんならではのこだわりが込められていることが分りました。そば粉は北海道から取り寄せたもの、そば汁だしの材料への拘りには驚かされました。美味しいはずだと強く感じました。磯田先生、お疲れ様、またチャンスがあったら、もう一回先生のそばを食べたいです。

 北茨城市観光協会による「あんこうの吊るし切り実演とあんこう鍋」の販売、「水産加工品の販売」で一層の賑わいを見せ、PRに大いに役立ったとのことでした。今年も出店して1600名を超える来場者で完売したようです。些細なことでも「力」になれる。力まなくても「復興」のお手伝いは出来る。そんな心が「絆」へと発展して、「つながる」ことが出来ることを知らされた今日この頃です。


小さな力でも大きな力に   林 文昭さん

千葉・我孫子市 
 

 東日本大震災から早くも2年9ヵ月。復興へと努力している被害者の方々とそれを支援するボランティアの人たちも大勢います。でも、なかなか故郷へと帰ることも出来ないのが現状のようです。

 特に、原発事故による放射線量問題で永久に帰れそうもない地域もあります。農産物の耕作が再開されたところもある事は喜ばしいことです。

 震災の年には、私が関わっているボランティア団体を中心に、「ワンコイン・ チャリティー落語会」と「湖北台ニコニコ歌謡ショー」を、知人の落語家「山遊亭金太郎」さんや「カラオケ同好会」と共催し、液状化被害の大きかった我孫子市は市長に直接、「東日本震災復興義援金」は日赤を通じて贈呈しました。

 翌年4月、高校時代の「寮生の集い」の案内の出欠の返事に合わせ送られて来た「北茨城市の震災記録」に「原発事故による風評被害で水産物・加工品の販売は例年の3分の1にも満たない…」と云う「大津港水産加工業組合理事長」の文章に驚きました。

 11月に開催される「第2回我孫子市和太鼓祭り」に出店して「安全」をPRできないか、祭りの事務局長として理事長に電話したところ、東松山営業所長時代の社員の実兄であることが分かり驚きました。

 北茨城市観光協会による「あんこうの吊るし切り実演とあんこう鍋」の販売、「水産加工品の販売」で一層の賑わいを見せ、PRに大いに役立ったとのことでした。今年も出店して1600名を超える来場者で完売したようです。些細なことでも「力」になれる。力まなくても「復興」のお手伝いは出来る。そんな心が「絆」へと発展して、「つながる」ことが出来ることを知らされた今日この頃です。



■2013年4月

趣味は人を救う   橋場 弘尚さん

宮城・大崎市 

 

 定年後は、趣味三昧で過ごすことに多少抵抗を感じながらも、年々欲がでてきて、知らないうちに今は6つ7つの趣味を楽しんでいます。師範級の資格を取りたいとか、収入を得るくらい腕を上げたいというような意気込みはないので、広く、浅く、気楽にやっています。どうやら安田生命に在職したおかげで、億劫がらずに人と交わる癖が身に付いたのかも知れません。

 若い時から続けている謡曲の集まりに、先日、84歳の会員が杖をつきながら出てこられました。脳梗塞で左半身麻痺となり、喉にも障害が出て声が出なくなりましたが、謡曲を唸りたくて病床で努力を重ねているうちに次第に声が出るようになって、医者から奇跡だと言われたとのことでした。
 また、短歌仲間の81歳の人は、ご主人とお娘さんを相次いで亡くされ、みんなで心を痛めましたが、やはり趣味のおかげで助けられていると言って、休まず歌会に出席されています。私の親戚にも同じように、息子に続き且那さんを亡くした人がいますが、この人は長年俳句をやっていて、何とか踏ん張っています。
 
 趣味というのは、良い意味での逃げ道のポケットを持つということかも知れません。あるいは、「生老病死苦(しょろうびょうしく)」・「愛別離苦(あいべつりく)」・「怨憎会苦(おんぞうえく)」・「五蘊盛苦(ごおんじょうく)」・「求不得苦(ぐふとくく)」の四苦八苦を受容できる自分作り(かなり難しいことではありますが)に繋がるのではないか、とさえ思うことがあります。

 先日、社友会東北支部の芋煮会がありました。多くの人と交わり歓談することができて、そのような機会を大変ありがたく思いました。億劫がらずに趣味に出かけ、社友会に参加させていただける間は『出会い・生きがい・心は現役』でいたいものです。因みにこれは恥ずかしながら、私がある標語に応募して採用され、今もさる所で使われております。
 手前味噌で失礼します。




少年サッカーを通じて、子ども達から元気・感動をもらう 佐藤 英夫さん

東京・江戸川区 


 リタイアして数年が経ちますが、この歳でモノ珍しい活動―年甲斐もない活動―をしていることを事務局の方に嗅ぎつけられ、この欄に登場となりました。

 それは『少年サッカー』です。ビジネスマン現役時代の27年前に、ある先輩と少年サッカークラブを立ち上げ、クラブの代表者・指導者としてクラブの活動を牽引してまいりました。次第に子ども達の数も増え、コーチ陣も充実し、私も歳をとり、という流れの中で、指導者クラスの世代交代も順次図ることができ、今や、子ども達150名強、コーチ陣(お手伝いの保護者も含む)70名ほどの大所帯のクラブとなってまいりました。会費が安く、全員がボランティアコーチのクラブですから、練習は土・日曜日のみで、優勝争いの常連というわけにもいきませんが、地域ではそこそこ、勝ったり負けたりで、『楽しくサッカーをやり、サッカーが好きな子ども達を輩出していく』というクラブの方針に沿っての活動となっております。

 現在は、コーチ陣の最年長で相談役コーチという位置づけで、クラブのマネージメントのサポートをしたり、ホームページの作成・メンテナンス等を担当しております。また、実技面では、おもに低学年の練習に顔を出し、一緒にサッカーをやったり、コーチ陣が不足の日には指導をしたり、公式戦の審判をしたりと、忙しい土・日曜日となっております。

 こういった活動の中で、子ども達の急激な成長ぶりを体感し、練習や試合時の珍プレイ・好プレイを眺めて喜び、また、試合時の保護者の熱烈すぎる応援を冷ましたりして、 子ども達から元気と感動をもらっている今日この頃です。

 このような活動の場を作ってくれている子ども達に感謝の心でいっぱいです。
 大所帯のサッカークラブになり、地域の複数の小学校の校庭や河川敷のサッカー場を借りて練習をするようになってきたこともあり、コーチ間あるいはコーチと保護者間のコミュニケーションを密に図り、子ども達が安心・安全にサッカーを楽しむことができるよう努めております。

 『それって、地元の飲み仲間を増やして、飲み会ばっかりやっているってこと?』
 『あえて、否定はいたしません!』



■2013年1月

通学案内交通指導で   石井 文成さん

東京・杉並区 

 定年退職後関連会社等に勤務し、平成22年3月末64歳でサラリーマン生活を終了、家に居てもやることもなくPCで調べ杉並区シルバー人材センターに入会し面接を経て6月から「通学案内交通指導」をするようになりました。

 内容は杉並区立永福町小学校の児童の通学下校時の安全を確保することを目的とするものでした。

 最初は不慣れで不安でしたが、先輩や学校・PTAの支援もあり徐々に慣れて3年目を迎えています。

 生徒数は500人弱で通学路の3箇所を5人の交通指導員が順番に行い、通学は朝7時半から8時半ぐらいまで、下校は曜日により異なりますが夕方14時から16時ぐらいまで行います。

 朝は、生徒さんに「おはよう」帰りは「さようなら」と声掛けをして60%ぐらい返事があります。

 ニコニコしている子、黙っている子、下を向いている子、ふざけあっている子、おしゃべりに夢中になっている子など色々で、子供たちより毎日元気をもらって、明るい感じになります。

 生徒さんから話しかけられますし、PTAの方や近所の方などから「おはようございます」「さようなら」など声をかけていただきます。特に感激したことは、入学式、卒業式のとき6年生の「旅立ちの会」などに出席したことで、50年以上前の懐かしい思いを想い出しました。

 今年も4月になると、とても初々しい新1年生が入学してきますが、2年生になるととってもしっかりしてきます。

 おかげ様で私自身、規則正しい生活ができ、指導員になって風邪ひとつ罹らず休むこともありません。

 毎日生徒さんより元気をもらっていることに感謝と感激をいただいております。

 

 ■2012年4月

趣味を生かして介護施設訪問   原田 昌子さん

名古屋・守山区

 

私は趣味の日本舞踊でのお稽古を通じ、地域のサークル活動に参加しております。

 平成10年ごろから地域に密着した活動を考えるようになりました。まず、各種サークルの皆さんと合同で、守山区の体育館を借り、コーラス、フォークダンス、日本舞踊などの会を開きました。ここでは、お客さまと参加者との交流を深めることができ、充実した活動と考えています。

 昨年の暮れに、サークルのある方から介護老人ホームの施設で、利用者の皆さんに踊りを披露していただきたいとの話がありました。私たちも初体験ですが、楽しみでもあり参加させていただくことにしました。当日は、立派な施設の会場で大勢の高齢者が集まりました。

 私たちは、それぞれの唄に合った衣装を着けて踊りを披露しました、会場の皆さんも素敵な踊りを初めて見たようで大変に喜ばれました。

 最後に先生の挨拶のあと、施設の皆さんから私たち全員にメッセージカードをいただき、大変うれしい気持ちと感謝で一杯になりました。その後、施設の皆さんとの交流があり、沖縄から入居されたおばあさんが100歳以上と聞き驚きました。その方の話として「日々楽しんで生活することが長生きの秘訣ですネ」と言われ勇気をもらいました。

 私たちは、これまでの活動に自信を深めたので、これからもサークルの皆さんと一緒に励み、この小さな活動の輪をさらに広げられるよう一歩一歩努力していきたいと思います。

 

 

ふるさとでの「観光ボランティア」  丸山 博之さん

大阪・高槻市

 

定年前から第二の人生を考えておりました。お陰さまで、会社時代の12回の転勤で、それぞれの地の文化や人情に触れて貴重な経験をしました。

 いつのころからか任地の名所・旧跡や城郭めぐりをして英気を養うことができ、特に目本の歴史に人一倍興味を持つようになりました。定年を迎えて帰郷したある日、地元高槻市の広報誌に「高槻市文化財ボランティア」募集の記事が目に留まり、これだと思い養成講座(6ヵ月コース)の講義と現地研修を受け卒業しました。

 ボランティアの初デビューは、高槻城内にある「高槻市しろあと歴史館」の館内展示品の案内と解説でした。当初は、お客さまの予期せぬ質問に戸惑わされながらも、自分も歴史書をこまめに読みながら、大阪、京都の名所・名跡めぐりをして奥深い目本の歴史を知りました。

 「観光ボランティア」も2年ほど経ち、少し余裕のできたころ、京都府大山崎町(秀吉の山崎合戦場跡)が「ふるさとガイド」を募集していることを知り、歴史館のガイドをしつつ本養成講座を受講。いまでは高槻と大山崎町を行ったり来たりしています。ガイドに際しては、当社の「お客さま第一主義」と同様、「おもてなしの心」を大切にして、お客さまにより分かりやすくユーモアを交えて説明し、「ありがとう来てよかった」と言っていただけるような奥深い日本の歴史研鎖に励んでおります。

 ガイド歴も早5年が経ち、愛するふるさとでの「観光ボランティア」を生きがいに、人々とのふれあいを大切にしながら、郷土の歴史をひとりでも多くの人に知ってもらえるよう、充実した目々を送っています。

近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください。

[所属団体] ・高槻市文化財スタッフの会(しろあと歴史館ガイド・今城塚古代歴史館ガイド)

       ・高槻市観光協会(名所旧跡ガイド)

       ・京都府大山崎町ふるさとガイドの会(資料館と名所旧跡ガイド)

       ・関西歴史散歩の会講師

 


 

■2012年1月 

東日本復興支援ウォーキングに参加して  福澤 利夫さん

東京・国立市

 

一昨年から地域の老入会にかかわって活動している。

 さる10月10日、市主催の「東日本復興支援ウォーキング」への参加を勧められ、13.2kmコースに挑戦した。私は、昭和17年7月から昭和20年3月10日まで福島県郡山市に住んでいたのでもともと東北には関心があった。郡山も空襲の危険にさらされ、両親の故郷長野県へ疎開するため、父だけ残して故郷に帰った歴史がある。その後、懐かしき福島県詣でを繰り返している。

 ウォーキング当日は、約800入の老若男女・家族連れが2コースに分かれ完歩し、「絆」とプリントされた復興支援のシャツを購入して組織の一員として募金に協力したのである。個人的には、郵便局振り込みで日赤経由の義損金応募や大学OB会を通じての募金に参加などで協力していた。金額はささやかながら、今般は自ら汗をかいての募金協力なので、何となくすっきりしたものであった。

 

 

ウクレレ奏者と共にオカリナ演奏   山崎 繁さん

神奈川・座間市

 

 定年後にはじめた「老人ホーム:オカリナ音楽ボランティア」も、早々10年を迎えた。近所の老人ホームを皮切りに、5箇所の老人ホームで、お年寄りが歌える心に残る想い出の童謡・唱歌・歌謡曲などを演奏してきた。

 曲は「故郷」[紅葉]「里の秋」「鐘の鳴る丘」「みかんの花咲く丘」「青い山脈」「北国の春」「湖畔の宿」「上を向いて歩こう」など、200曲近い音楽を一緒に歌い、楽しみ遠く過ぎ去ったこどもの頃を一緒に懐かしんでいます。いつの間にか生活の一部になり、高齢の皆さんのためにと始めたことですが、今や自分の喜びにもなっています。

 60歳の時に患った「脳梗塞」、去年の6月に患った「心臓病」では、危なく「三途の川」を渡りそうになりましたが、お天道様に「君は、まだする事があるので川を渡らせないよ・・・老人ホームの皆さんが待っているから・・・」と呼び戻されたような気がします。

 


 

■2011年4月

地域貢献活動について   吉田 孜さん

札幌市・清田区

 

 私は、現在560世帯を擁する町内会の副会長として、すでに4期で7年目を迎えています。私たちのおもな任務と活動は次の通りです。

(1)    町内会会員相互の親睦をはかるためのイベントの開催

    新年恒例会、マージャン大会、ファミリー・エンジョイデー、夏祭りおよびパークーゴルフ大会等の開催・指導。

 (2) 子どもたちの素直な成長を促進するために夏休みにおけるラジオ体操の実施、子どもクリスマス会を
    青少年育成部を中心に開催・指導

(3) 登・下校時おける安全確保のために防災・防犯部が中心になり交代でパトロールをする。一般会員には、
    飼い大の散歩時における安全監視と不審者情報の提供など、子どもたちの
安全・安心を守る活動を推進
    している。

 (4) このほか、家庭生ゴミの堆肥化推進、消防署による防犯・防火等の各種研修会や実地体験の実施、
    
大災害時の緊急避難場所として、町内会館をバリア一・フリー化を実現し、開放可能とした。

 これら一連の活動を通じて、微力ながら多くの地域の方々とのふれあいを深め、住民相互の扶助と親睦を図り、また、子どもたちの健やかな育成と快適な生活環境の維持・発展に努めています。

 

 

籤であたって「母の会」のお手伝い  山崎 和枝さん

横浜・泉区

 

横浜郊外、新たな私鉄沿線に開発された住宅地に移り住んで18年を越えた。新住人も年を重ねて急速に高齢化が進む。問題解決のため、自治会活動はそれなりに熱心で、6地区に分かれての連合体もある。私は、一昨年回り持ちの班長を務め、最後の引継ぎ時に、翌年の「交通安全母の会」の役員が当り、何と22年度のその総会で、今度もまた副地区長の籤を当ててしまった。この会は本来、学童の登・下校を含めた交通事故から子どもたちを守るのが目的。少々場違いな場にいるのではと思いながら一年が経過した。

 行政、警察、学校、幼稚園、保育園などと連絡を取りながらの活動と交通安全・事故防止のキャンペーン行事など。具体的には、登・下校時の見守り、ビラの配布やパレードヘの参加、人形劇の上演、プレママチャイルドシート講習会、自転車の乗り方教室、等々…

 活動報告書によると行事は年間60回を越え、月平均5回を役員を含めた12人のメンバーでこなしてきたことになる。隔月に定例会を開いて役割分担を決めたが、一番感心したのは、若いお母さんたち、必ずしも専業主婦ばかりではないのに、「この目なら出られます」と積極的に役割分担を引き受けてくれることだった。

 私は、もっぱら名簿、連絡網、定例会の資料などパソコン作業。今は最後の「総会議事録」作成に追われている。小学校の入学式の登校見守りと総会の司会で1年間の活動を終えることになる。

 思いかけず「当り籤」で地域のボランティア活動を経験。新興の住宅地で、これまでは顔見知りでも道で会釈をする程度だったが、この活動で若いお母さんたちのいい「お友達」になれた。「これからも遊びに行かせてもらいます」は、何よりうれしいことば、私にも地域に根づいた暮らしが始まった。

 

 

縁あって地域活動に  橋本 直矢さん

東京・小平市

 

 定年退職にあたって、新たな人生設計を考えました。現役時代の営業・教育畑の知識と経験を生かしたい。そのために教育コンサルタント会社を立ち上げました。

 自らの営業開拓の成果が実り、企業内研修は点から面へと徐々に広がり、さらに地元のシルバー大学、商工会、PTA活動など地域との繋がりも含めて各種の講義・講演の場を広げてきました。

 一連の活動を通じて感じることは、企業内であれ、地域であれ、事を為すにあたっての原点はコミュニケーションの大切さであり、その核となるものはまず「あいさつ」に始まるということを痛感し訴えています。

 そんな中で、3年ほど前から地元自治会からの要請があり、防災部門の責任者を務める機会をいただきました。地震や火災から身を守るための意識や知識、技術の習得を地域の人々に伝え、かつ、共に学んできました。それは煙からの脱出、消火器の放出体験、起震車での地震の体験、AEDの使い方など救護の技術などなどでした。消防署をはじめ各関係機関への協力要請やときには業者との折衝などを通じて、地域住民との橋渡しに努め、多くの住民とのふれあいを持つことが出来ました。一昨年には、家庭用火災報知器の普及を図るPR活動と町会保証付きの低価斡旋をし好評をいただきました。防災の活動では、若い人々の意識の低いこと、また、高齢者の1人暮らしの不安の声を多く聞きました。

 行政の足りないところを、自治会のリードにより近隣者相互の行動で埋めることの必要性を痛感し、全国各地、各地での私たちの出番がさらに待たれているのではないかと思うこの頃です。


 

■2011年1月

真心のふれあい  大島 喜代子さん

名古屋市・中川区

 

 定年年齢より5年早く定年扱い退職をしましたが、引き続き嘱託として働き、また、社友会にも加入し色々な行事に参加して楽しく過ごしています。

 私は安田生命入社前から、地域での某団体と出会い、人と人とのつながりの大切さを教えていただきました。

 そのお陰で35年間、安田生命での「お客様を大切に、真心こめたお付き合い」ができた原点だったと感謝しています。

 地域での活動の一つとして、「グランドゴルフ」のクラブに入り、「健康維持」と、「人との触れ合い」のためにと嘱託活動の合間を縫って、週2回練習に参加しています。年配のみなさんに負けないよう「ホールインワン」を目指して頑張っています。これからも「ボランティア活動」、「グランドゴルフ」を通じて地域の方々との「心のふれあい」を続けていきたいと思っています。

 

 

地域の活動に参加して   岸本 文彦さん

兵庫・川西市

 

 定年と同時に、生まれ育った地区の自治会長就任の誘いがあり、地元への恩返しと思い引き受けた。

 自治会長になって、交流のなかった近所の人々と話す機会に恵まれ、何か力になれればと考えるようになった。地元の母校小学校のコミュニティもでき、今、副会長と自主防災会の責任者を引き受けている。

 毎月の運営委員会と役員部会長会議で、年間行事の計画をたてる。

 文化フェスタでは、6月初めの2日間、地区の人々の自慢の作品展示や各クラブの発表会があり、盛り上がる。

 夏には2日にわたり盆踊り大会があり、各自治会・各部会の出店や浴衣姿の人々で賑わう。

 秋には体育祭を開催する。

 冬には阪神大震災を教訓に川西消防署の指導のもと、子どもを交えた防災訓練を行っている。3月には、山登りコースやハイキングがある。

自主防災会では、将来起こりうる東南海地震に備え、要介護者の安否確認や救助をいかに行うかなどの対策を練っている。無関心だったこのような「ふれあい活動」に携わることができ、毎日楽しく健康で過ごしている。


 

■2010年4月

留学生と子ども会の交流  小原 昭彦さん

名古屋市・港区

 

 15年前、30年ぶりに故郷の名古屋へ戻ってみると、我が家の隣は留学生が79名もいる国際留学生会館となっていた。

 私は、3年前から町内のお役に立てばと思い町内会の役員を引き受けている。そんな関係から、留学生会館へ出入りするようになり、留学生との交流が始まった。

 歓迎会の席上で、1年間の交換留学生として、音楽の勉強に来ていた韓国の男子学生2人と知り合いになった。

 私たち夫婦は転勤先で多くの人たちにお世話になった。今でもその縁は続いているが、そんな夫婦の感謝の気持から、彼らの安らぎに少しでもなればと思い、4入の韓国留学生を我が家に招いて食事会をしたり、「法隆寺」、「犬山城」、「名古屋城」、「なばなの里」(桑名市)を案内するなど、留学生との交流が深まった。

 知らなかった隣国「韓国」の文化、芸術、風習などを知ることができ、また食後の後片付けをする彼らの礼儀正しさにも感心した。さらに他の国の留学生も、みな勉学に励む優秀な学生であることが分かり、町内にも世界の一部がここにあると気付いた。

 優秀な留学生と町内の子どもだちとの交流の場を持つことできれば、子どもたちの将来に少しでも役に立つのではないかと思い、子ども会役員と国際留学生会館との折衝を行い、2年前から「子ども会」と「留学生」の交流会が始まった。

 「私の国」をテーマに、クイズもまじえて5力国の留学生か子どもたちに話をした。最初は子どもたちも、父兄も硬さがあったが、昨年の交流会では和やかで、その国の文化を知ることができたと、みな喜んでくれた。参加者は50名を越え、これを機会に留学生が、町の祭り、盆踊り、ウォーキングなどにも参加して交流の輪が広がっている。

 今、町内の家庭の夕食を留学生に体験してもらう目的で、ワン・アワー・ホームステイを企画し、参加者を募集している。今年の留学生とどんな交流ができるのか、楽しみである。

 今では、我が家に国際電話がかかってくる。

 

 

将棋を通して子どもたちとふれあう   小林 博次さん

埼玉・飯能市

 

 いくつかの地方勤務と都心中心の会社生活を終えて、期待をもって地元の生活に戻る。

 趣味の将棋を生かして仲間作りをしたいと思い、市・福祉センターに出向いたが、新入りを迎える雰囲気ではなかった。このような中、センター主催の「シルバー親善将棋大会」があり、私はAクラスで全勝優勝、幸運の女神が力を与えてくれた。これを契機に私の名前と顔が知られ、「飯能将棋連盟」設立の事務責任者を要請された。「将棋文化で飯能市民の健康づくり」を目標に掲げ、それに向けて力を貸してくれる人を選び、支えあって普及に励んでいる。

 市将棋連盟発足から早16年、3代目会長を仰せつかり、『新手一生』に微力を尽くしたい。

 さて、連盟発足から3年後、福祉センターから「子ども将棋教室」の講師を頼まれ、協力してくれる仲間と始めて13年。さらに美杉台公民館からの相談があり開講。

 現在、A・B2つの「将棋教室」を、毎月2回(土)行い、09年度の受講者は延べ600人を超える。最初、子どもたちの騒がしさ、声が気になったが、今ではオーケストラのようでこちらが元気をもらう。

 講座では、将棋の歴史、対局のきまり、マナーを最初に教える。春・夏休みには市内の子どもたちを対象にした大会を開く。日々の鍛錬の発表の場、活き活きと瞳を輝かせ栄光をめざす子どもたちの中には、将棋プロをめがしたいとの希望者までいる。

 また、先般「伝統文化活性化国民協会」の基準を満たし『認定将棋教室』と認定された。このことは、連盟の名誉とともに、関係者、子どもたちのロイヤリティを高め、幼稚園児の親から入門の相談もあって、講師仲間の結束をさらに高めている。

 おわりに、私の趣味といえるものは、将棋、カラオケ、ゴルフ、飲み会などだが、諸般の事情で、今後は前二者が中心になりそうである。


 

■2010年1月

「ジョギングスクール」からマラソン全国大会への参加  福地 賢介さん

三重・津市

 

 走り始めて半世紀になる。一人より大勢が楽しいと昭和50年の三重国体を契機に、「三重走友会」を組織し、健康作りの輪を広げ、今年は35年・節目の年となる。

 思い起こせば娘たちの学校が休みの期間、近隣の子どもたちも加わった「ジョギング・スクール」が好評だった。この走る輪の広がりが底辺となって、「走友会」への関心が高まり、仲間も津市にとどまらず三重県下に広がった。ついにはマラソンの全国大会へ、「青梅マラソン」には35年連続出場となる。大会の企画・運営にも手を染め、「越年マラソン」、「桜マラソン」などは今も続いている。

 「歩き」では、ウォーク仲間に呼び掛けて、東海自然歩道の全踏破を果たした。熊野古道(田辺~伊勢内宮)を歩き、三重百山へ登る。北は利尻から南は宮之浦岳までの日本百名山の制覇・達成も間近となった。昨夏は剣岳にも登った。

 気心の知れた仲間と走り、歩くことは実に楽しい。心身を鍛えよう、と思いを新たにしている。

 

 

ふれあいは、相手を思う気持ちから!!  杉本 成康さん

神戸市・灘区

 

 70歳の今、心は充実している。年老いてから貴重な喜び、心のふれあいを知った。

 定年退職後、妻の勧めで勤労会館の卓球場へ出向いた。卓球クラブの会長と会うことができた。関大生時代、安田生命実業団チーム時代と、卓球選手として活躍した話をしているうちに明日からコーチとして来てくれないか、と頼まれボランティアのコーチならば、と引き受けることとなった。

 この卓球クラブ「OM会」は、神戸市在住の会員160名で、月8回、毎回60名前後が参加している。16ある卓球台で練習や試合を行う。中高年の男女が大半であるが、最高齢者90歳の方から障害者の方もいる。

 私は相手をする前に大きな声で、“よろしくお願いします」と言い合ってもらっている。挨拶すると気持ちよくプレーにはいれる。

 会員たちは、コーチの私と打ちたくて、先着順の受付で30分以上も待たれ、私ともう一人のコーチと打ちあって汗を流し、笑顔でお礼を言い、手を振って帰られる。会員の目的は多様であるが卓球を通じて心のふれあいがある。

 私自身、今までは試合で勝つことだけを考える卓球であったが、会員が楽しみ、コーチ!先生! と親しく接してもらえる現在、幸せを感じている。これからも卓球台を囲んで、色々なふれあいができるよう、身体の続く限り頑張りたい。


 

■2009年4月

心をつなぎ、町おこし  遠山 志女子さん

岐阜・大垣市

 

 私の住む町、墨俣(すのまた)は平成18年大垣市に編入され、女性地区事務所長が赴任したのを契機に、女性を中心とした「いき粋墨俣創生プロジェクト」が提唱され、私ども15名ほどで発足しました。

 「墨俣」は、戦国時代の木下藤吉郎の一夜城で有名ですが、もっと観光に力を入れたいと、この「プロジェクト」は立ち上げられたものです。「お土産品」の開発に意を注ぎ、種類、販売方法・販売場所を工夫するため、月1回の定例会議を開催しています。

 脇本陣跡の酒店の中にショップ・アンド・ギャラリー「美濃路脇本陣」を開くことも出来ました。

 「墨俣」に因んで命名した菓子・饅頭の詰め合わせや、地元陶芸作家の作品の展示即売や和雑貨・アクセサリーの販売等、和モダンの雰囲気作りに腐心し、毎週土・日だけボランティアが店番で開店しています。

 平成20年の大垣市市制90周年を機に、「いき粋すのまた小町めぐり」として、手作りの「つりびな」をボランティア全員で作り、作品は町内のお寺2ヶ所をふくむ11店舗に飾っています、「つり雛店」めぐりスタンプラリーも実施しています。

 特に「つりびな」作りには、小学生・中学生の希望者を募り「つりびな」作り体験会を行い、更には中学校の家庭科の授業での製作講習も依頼され、情操教育として、また地域の歴史、風習に触れることが出来ると、喜ばれています。

 「小町めぐり」プロジェクトは2月27日から3月8日まで開催しました。

 私は「いき粋墨俣創生プロジェクト」の事務局を兼ねた店内の「茶房とお山」のおかみさんです。

 お蔭様で町もお店も大変繁盛しております。

 町の活性化のために今後とも頑張っていきたいと考えています。

 「すのまた」へいらっしゃい!


 

■2009年1月

母校卒業生との「心のふれあい」  川村 妙子さん

兵庫・神戸市

 

 32年間勤務後、大阪北支社を平成10年6月に定年扱い退職いたしました。何か社会のお役に立つ事をしたいと思っておりましたところ、神戸への転居後2年に、母校八幡商業高OB会へ入会のお誘いをうけ目下、幹事として母校と卒業生とのパイプ役として、頑張っております。 OB会の活動は、総会・漫遊会・時事問題研究会・カラオケ会・ゴルフ会・グルメ会等多種にわたっており、当社友会の活動に似ております。今後は母校を訪問し、在校生との「心のふれあい」の機会を持ちたいと思っています。

 

 

「地域興し」と子どもたちの活躍  滝川 登志子さん

愛知・一宮市

 

 私の住んでいる一宮市木曽川町では、年4回のイベントを行います。6月「ほのぼの祭り」、9月「一豊祭り」、10月は「秋の福祉バザー」と「商工祭り」です。

 特に「ほのぼの祭り」のときには、小・中および大学生を中心に多くのボランテアが集まります。茶髪の若い兄弟が焼きそば作りや後片付けまで熱心に手伝ってくれます。私の参加は子どもの学校のPTA活動を終えた頃からです。今年からは「秋の福祉バザー」の実行委員として、提供された商品の値付けや販売に携わり、商品提供者や購入者の温情に接し、地域の皆さんと支えあって生きていることを実感しております。又、地域の文化も知ることができました。

 

 

子どもたちも「伝統文化」を紡いで  宮野 勝さん

北海道・旭川市

 

 北海道の伝統文化には、百人一首「下の句かるた」がある。下の句を読んで下の句を取る。文化文政時代、会津若松城内で藩士が遊んでいたもの。北海道オホーツク沿岸が会津藩領となった時、伝わったものと考えられている。現在は3対3で遊ぶ団体戦の室内競技。小・中学校の「総合的学習」「留守家庭児童会」「クラブ活動」、そして「公民館活動」などへ出かけ、大人・子どもの別なく一緒に楽しんでいる。初めての人も心の琴線に触れるものがあるのか、かるた大会に参加したいと申し出る子どもたちもいる。技術指導に加え躾指導もし、礼儀正しくなったと親たちに喜ばれている。今後も伝統文化を守る活動を続けていきたい。


 

■2008年4月

私の「心のふれあい運動」活動   伊藤 厚子さん

三重・東員町

 

 私も定年になり、あっという間に時が流れてしまいました。現在「環境問題」、「社会福祉」に眼をむけ「一人暮らしの老人へ弁当」を立ち上げました。

 参加を呼びかけたところ、応募者はただ一人でしたがとりあえず、スタートしました。

 栄養のバランスを考えて献立を作り、5品を入れて弁当が出来上がりました。「福祉」から赤のエプロンを作っていただき、名前は“わくわく弁当”になりました。

 人数は5名になり、慣れない手伝いに戸惑っております。配達は組をつくっておこなっております。その他こまかいことは「福祉」にお願いしております。時代背景から「福祉」からの負担が厳しく減りましたが、地元の方の協力で野菜の無償提供を受けるなど、多くの助けをいただき、一人暮らしの老人の皆さんに喜ばれています。現在一人暮らしの老人は増えており、地域でサロンの運営を始め、昼は“味ごはん”“おやつ”を作り、皆さんと一緒に協力しあって「区センター」で働いています。男女ともども、冬になれば働く人が増え、春になれば減りを繰り返しておりますが、地元の「福祉」とともに、一人暮らしの老人の方を楽しませております。

 わたし自身、これからも明るく元気で一日一日を、ボランティア活動で楽しんでまいります。


 

■2008年1月

市ぐるみの「心のふれあい」   柴垣 睦子さん

愛知・一宮市

 

私の住む町・愛知県一宮市は、豊かな濃尾平野にはぐくまれて、昔は繊維の町として発展したところです。今、心ふれあう「一宮」をつくることを目指している市です。「ふれあいバス」「ふれあいバザー」等々、最近は 「ふれあい」の大行進です。

私も町内の会員60名の婦人会に入っています。神社の清掃、児童の見守り、防犯など、地域の人たちとコミュニケーションをとりながら様々な活動に参加してふれあっています。

特に、夏に行われる盆踊りは、シーズンに入りますと毎週練習して、本番には、ドーンと響く太鼓を合図に踊りの輪が広がり動き出し、盛り上がります。

年齢を気にせず踊ることができるのも盆踊りの魅力の一つですね。

二日間続いた後には、手作りの五目ご飯など皆で味わい楽しいひとときを過ごします。

さて、詩吟に「春を探る」という名句があります。「一日中、春はどこかと訪ね歩いたが、春景色には会わなかった。家に帰ってから、ちょっと庭の梅の梢を折って見ると、春の気配は梢の先にふくらんでおり、もう十分に感じることができた」。これは、ごく身近なところにあるのに、人はこれをわざわざ遠いところに求めようとする・・・・との意味。まさに私にぴったり当てはまると思ったのです。

7年前、退職時に小さなお好み焼きの店を開きました。すでにその日から、人と人との心のふれあいがスタートしたのだなと、つくづく感じています。趣味、芸能、美味しいものの話から色々・・・最近は病気の話が多いかな(笑い)。

また、子供には、容赦なく叱ったりもしていますが、そんな子供たちが、道路ですれ違ったときに交わす目礼がとっても可愛かったり。そうなんです、人とのふれあいはまず、身近なところで無理なく、気軽にできれば良いと思います。

 

 

空き缶・プルタブ回収で車椅子贈呈   後藤 清人さん

大阪・八尾市

 

私も定年になり早7年目になりました。自分の事はともかく、環境問題の解決策と社会貢献を考えました。

アルミ缶・プルタブを回収して、身障者施設等に車椅子を贈呈する事を4年前から始めました。現在まで19台を贈らせて頂きました。また、知的障害児施設には遊具を贈らせて頂きました。

そのために、多くの知友人、団体、趣味の仲間等皆様のご協力で本当に感謝致しております。

最初は、大変抵抗がありました。ホームレスのような事はやめて欲しい、空き缶1つ拾うのも恥ずかしい思いでした。 しかし、あるとき、イエローハットの鍵出社長の「掃除道」のお話をお聴きして、凄い方がいると感心しました。我々のやっている事は、とても足元にも及ばないと心から反省しました。

 そして回収している間に、知人からある公団住宅の管理人にお話をして下さいました。自治会で話し合いの結果、「社会の為にやっているのだったら、団地も協力します」と言って下さいました。そこでは全体の約6割の占率になりました。

一方では、主婦の方々のプルタブは多くの方々が協力して頂いているため、多量の回収となっています。今は当たり前みたいになりました。困っておられる方々のお役に少しでもなればと思い今日に至っています。

「言うに易く、行なうに難し」の例えどおり、4年間継続できました事は、ご協力者の尽力の賜物です。ある団体の全国大会で「社会貢献賞」の表彰状を2年連続して頂きました。感謝の気持ちで一杯です。これからも、お喜びいただける方がある限り継続してまいります。


 

■2007年4月

老人ホームでのひととき   吉田 邦彦さん

東京・小金井市

 

最近老人ホームの絵画リクリェーションのボランティア講師を引き受けた。現在このホームは定員の64名のお年寄りが入居している。

単独外出できる元気な人や、重度の認知症ですべてに介助を要する車椅子の人もいる。毎日の諸行事がスケジュール化されており、誰でもいつでも参加できる。趣味のリクリエーションとして俳句・書道・手芸・お花等があり、私の絵画レクもその一つに加えて頂いた。毎月第一火曜日午後2時~4時まで開講、約10名が参加している。当初は自由に描いてもらっていたが現在は色鉛筆を多用し、職員の手助けを受け、皆1~2回で完成させている。正月には一人3点の作品発表会を開催した。来館した家族や孫にほめられ、参加者の士気も上がっている。今後この経験を生かし、子育て支援の情操教育の一環として、レク・ボランティア活動の輪を広げていきたい。

 

 

子育て支援に取組み6年経過  笹倉 武史さん

兵庫・西宮市

 

 2月17口(土)、東京・東商ホールで「身近な子育て支援を考える」~世代間交流と地域コミュニティの役割~と題したシンポジュームが開催され、パネリストの一人として出演した。このシンポジウムは(財)明日の日本を創る会、(財)長寿社会開発センター、(財)子ども未来財団が主催して厚労省と読売新聞社の後援、元NHKアナウンサー好本恵氏をコーディネーターとし、鳥越皓之氏(早大教授)、中橋恵美子氏(NPO法人わははネット代表)、池本美香氏(「日本総合研究所判任研究員」と私(NPOナルク丹波事務局長)の5人。2時間実践活動を主に、それぞれの存念を述べた。聴衆は60~70歳代の男女500人で満席。この模様は、読売新聞に掲載された。

 私は58歳で安田を早期定年退職し農業と決めていたが、ボランティア活動を加えた。妻の故郷篠山市にボランティア団体「ナルク丹波」を設立、「子育て支援活動」に取組む。又私の郷里西脇市で「子どもゲートボールチーム」の養成事業に参加。隣接する篠山・西脇両市で「子どもの健全育成」活動をスタートさせた。

 今「ナルク」が取組む「子育て支援活動」大別すれば5つ。丹波里山の再生と「子どもの冒険ひろば」公園利用の子どもの外遊び・群れ遊びの奨励学童保育支援・手作り遊びの伝承三世代交流・子育て支援「遊びのひろば」の開設。小学校への「体操教室」の出前開設。月20日はボランティア、月10日は農業。

 皆さんも是非「小学校の運動会」を見て欲しい。真っ直ぐに走れない子、転んでも瞬時に両手を出せず、顔や頭をモロに打ちつける子。2~3キロ歩いて通学する田舎の子がこの有様。都会育ちの子どもたちはどうだろうか。丹波では毎土曜日は里山「冒険ひろば」の開設です。密林状態の里山で、禁止事項を少なくし自由奔放に遊ばせれば、バランス感覚や運動能力が身につき、遊びや社会のルールを自然に学んでいくものだと信じている。

 

 

高齢認知症の介護に携わって   中野 陽一郎さん

愛知・名古屋市

 

 介護に携って1年5ヵ月、定年後2年続いた面接士は合併を機に辞めた。母の介護に役立つとシルバー人材センターの介護2級講習会を受講、3ヵ月の講習と実習で資格を取得、母は5ヵ月後、1週間の入院で介護の甲斐なく急逝。そんな折グループホームから誘われ、高齢者介護に携わる。ホームでは1ユニット9名の入所者を12名のスタッフが介護し、最年長の私は週2日勤務。人生の大先輩として対応するよう努め、親しく声をかけられ、手紙の投函も頼まれる。M大ラグビー部に在籍、海外遠征でも活躍した方は、新聞切り抜き記事を自慢げに見せ、褒めれば喜ぶ。元住職兼幼稚園の方、妻と死別しても子どもの世話にならぬと入所、仏典を読み仏画を描き、大正琴を弾き余生を楽しむ。若いスタッフのエネルギーを貰い、入所者が楽しく過ごせる介護をするのが、私の健康維持の秘訣。


 

■2007年1月

わが町の高齢者ボランティア活動について   寺岡 烈さん

埼玉・所沢市

 

 私の今住む町は(所沢市内)過去30年でかなり様相が変わった。

 高齢化が進み、子供の数が減り、単身または老夫婦二人だけという世帯が増えつつある。

 この町でも2年前から高齢者中心の地域ボランティアの会がたちあげられ、私も参加している。会員数は80名余、その活動は三つに分かれる。一つは防災防犯を目的とするパトロール、地域内を3区分し数名ずつ隊を組みながら昼夜月2回の巡回を行なっている。二つ目は小学生の下校時の見守り、通学路の要所ごとに分担を決めて、毎日、学童たちと声をかけ合いながら見送る。学校からは予め下校時間の予定表をうけとっている。三つ目は毎月2回のサロンと呼ぶ集会である。これは住民の誰でもが参加できる自由な喋り合い、ふれあいの場である。時には野外での体操やウォーキング。学校や福祉施設との会合に発展することもある。

 このサロンでは地域内の環境保全や治安対策、健康問題等が話題となることが多い。

 今、国政では諸改革が進められ「官から民へ」「国から地方へ」という大きな波が寄せている。その一方で少子高齢化の流れは早まるばかりである。

 今後、団塊世代を含めて比重が増す地域の高齢者層が公共の場にでて、いかに安全で活気のある町づくりに関与し、貢献できるか、それがこれからも問われることになるだろう。

 

 

活動状況報告  宿野 健一さん

中部支部代表幹事兼「心のふれあい」推進世話役

     

 春日井市では、地域の人々・高校生・大学生を巻き込んだボランティア活動が盛んに行われております。今は来年から施行される「障害者支援法」の勉強会が行われており、公的障害者福祉サービスが一部うち切られ、今まで以上に色々な負担が増えるそうで、皆さんその対応に苦慮されておりました。 そのメンバーの一人が「推進世話役」の高野朋子さんです。その高野さんの楽しみの一つが、毎年秋に行われるご長男の所属されている「春日井福祉作業所」の食事会だそうです。今年のメニューは、ちらし寿司・豚汁・デザートだそうです。約160人分を作るため、前日から仕込み等で大忙し、てんてこ舞いになるそうです。しかし食事をされる皆の嬉しそうな笑顔を見ると世話をされる皆さんは疲れも吹っ飛ぶとのこと。また午後からは、学生ボランテイアによる音楽会となり、歌って、踊って、楽しい一日になり、皆の笑顔を見て、参加者は心を洗われる思いになるそうです。


 

■2006年4月

「区民寺子屋事業プロジェクト」の一員として  宇野 恵美子さん

愛知・名古屋市

 

 社友会誌45号で報告しました続きを記します。

 福祉協議会の区民寺子屋事業プロジェクトの一員として会議に参加し、この度、H.17.12.3.寺子屋を本郷小学校体育館で開き、交流ができました。この寺子屋は、小、中、高、から65歳以上の方々を対象として、楽しく過ごす会です。

 当日は寒くて、寒くてポケットにカイロを入れました。体操、気功、伝承あそび、あやとり、おてだま、おはじき、けんだま、その他、体育館は広いので寒くて、寒くて、大変でした。

それでも楽しかったです。この次は、3月4日です。極楽小学校体育館で行います。

 1日を楽しくしたいです。気功がないので手話を少しやりたいと思っています。よい言葉、楽しいことだけを勉強しています。明日を夢見て。写真は昨年の誕生日会に写していただきました。

 

 

「おむつ」縫い、施設の子供たちとのふれあい  坂本 カツさん

熊本・熊本市

 

 20年余り続けております私のボランティア、「心のふれあい」の視点で「だより」にとのお話を頂きました。

 2月は乳児院に持参するおむつ縫いの真っ最中で、先方からは、洗濯の回数が多いので大変助かりますと、150組のおむつを喜んでくださいます。

 毎年、親クラブとの共催でする施設の子供たちや、低学年の児童は、大人と一緒に農園作業楽しさを味わいます。また、稲刈りが済んだ田んぼでは、輪になっておにぎりや子供たちの好物の卵焼き、豚汁などをつくります。「いつもはこんなに食べないんですよ」と引率の先生がおっしゃいます。子供たちは美味しそうに食べてくれます。

 昨秋の老人ホーム慰問の折は、私たちの手作り味噌とおばあさんのメークアップをしてさしあげました口紅をひいた鏡の中のご自分をにっこり笑って見ておられ、いくつになっても化粧をすることは、こんなに嬉しいことなのだと、私たちも心が和みました。

 

 

趣味を生かす地元の小学校との交流と協力  坪田 茂二さん

東京・新宿区

 

私は、地元の小学校(新宿区立西戸山小学校)の園芸ボランティアとして、校庭の周りの植栽に協力しています。

大輪の花ゆり(カサブランカなど約20本)、アジサイ(各種30本)、小菊(多種類、多彩色300本位)等々。その他、自分が丹精した花々や木々(ぱら、えにしだ、あけび等)が、時季を得て豪華に咲き揃うのは、本当に楽しいものです。

 学童たちから、先生方から、主事さんから、PTAの人だちから喜ばれ、誉められると、嬉しさも極まり、真夏の毎日の水遣りなどの苦労も忘れてしまいます。

 また、学童との触れ合いが、実に楽しい。

 クラブ活動(選択授業)の時間に、学童に囲碁を教えていますが、他に、「地域住民と学校との交流」で、●児童に「昔遊び」を教えたり、●学校給食に招待されたり、●防犯協力、●運動会、展覧会など児童との触れ合いは、時に自身の高齢を実感はしますが、少し若やいだ気持ちになります。思うに、人に見てもらったり(花造り)、期待されたりが、今の私の健康と生き甲斐の源でありましょう。

 


 

■2006年1月

少年剣士を育てる   竹中 主也さん

兵庫・川西市

 

 退職2ヵ月後より、地区の小学校体育館で毎日曜日8時~10時まで、小学生15名を指導し3年になります。ボランティアで指導すると、自分も成長させてもらっているという感謝の気持ちが生まれます。

○ 週1回の稽古で心がけていること

 1)礼儀を重んじる

  体育館に入るときは「お願いします」

  帰るときは「ありがとうございました」

 2)基本にそった稽古をする

 3)ルールを守る

   「自由」と「わがまま」の違いを習得させる

 4)辛抱を教える

将来、こどもたちがこういう事があったナア、と思い出してくれれば幸いです。

 

 

素晴らしきセカンドライフ   伊藤 智子さん

秋田・秋田市

 

 55歳で自主退社、永年趣味でやっていました民謡、歌謡が私のライフワークとなりました。県内外のイベント、祭礼、新舞踊発表会、チャリティーショー、私への出演の要請に努めて参加、それが生き甲斐ともなっています。老人施設、デイサービスなど慰問活動もします。

 舞台から見るお年寄りの方々の童心に帰ったような「目」、好奇と純な「瞳」のこども達をみると歌こそ「心のふれあい」、コミュニケーションの最良の手段であると、確信している昨今です。只今、石田清純氏(東北社友会会員)作詞の「人生これから音頭」をキャンペーン・ソングとして、東奔西走、歌っています。今後の人生は歌に精進したいと思っています。


 

■2005年4月

わが町のふれあい活動   徳重 忠男さん

大分・別府市

 

 私の住んでいる町は小さな町で260世帯800人強しかいません。町ができて14年になります。

 2世帯住宅も多く年齢は各世代平均的にいます。この町が特別なことしているわけではありませんが、人と人のふれあいを大切にしています。その例をあげてみましょう。

1.声掛け運動―子どもでも大人でも道で会う人にはみんな「おはよう、こんにちは」を言い合います。学校から帰る子どもには「お帰り」といいます。

2.老入会の役割―毎月「何でも語ろう会」があり、町のでき事を話し合います。自治会長等の役員もいるので直ぐ対応します。子どもの指導の問題やお年寄りの問題、全国の社会問題も含めて意見交換をします。従ってこの町には子どもの不良化とか犯罪は一切ありません。火災や盗難もありません(別府市のモデル地区に指定されている)

 その他、町の清掃は老人会がやり、公園や町の周辺の草刈は年3回全世帯が出てやります。大人も、子どもも出ます。終わってからはみんなでジュースを飲みながら会話をします。また、婦人会、子ども会があり、文化祭、夏のフェスタ、体育祭、餅つき大会等、常に子どもを如何に取り込んでいくかを考えた年中行事を考えています。この町は別府湾に近く高台に造成され、各地から集まった人達であり、多様な考え方を持った人達の集まりで聞かれた町づくりができやすい環境にあると思います。私は定年後この町に住み5年目を迎えましたが住んでよかったと心から思いますし、私も何かお役に立てられるよう頑張りたいと思っています。

 

 

障害を持つ子ども達と共に  高井 毅さん

大阪・和泉市

 

五年前、スポーツボランティアに参加したことがきっかけで始めた障害者フライングディスク競技。障害者スポーツの中でも安全性が高く、障害の内容に拘わらず同じフィールドで競える種目として愛好者が増えています。

 「硬直した筋肉が少し動いた」、「体が動いた」、「飛んだ」、回転で浮力を受けたディスクがゴールに向かう、「ゴール!!」。仲間の歓声に大人も子どもも表情がほころびます。

 車椅子に乗った人、視覚や聴覚に障害のある人、夫々がハンディを乗り越えて挑戦する姿には誰でもが惹き込まれてしまいます。休日に開催される練習会や競技会でも出会いと係わりは、お手伝いする私にとって緊張と感動を感じながら共に学ぶ充実の時間です。

 これからも、障害を忘れ、活き活きと動く子ども達の姿、それを見て喜ぶ大人達の姿に生き甲斐を感じ、共に頑張ろうと思って居ります。

 

 

私のボランテア活動・パート3   高野 朋子さん

愛知・春日井市

 

 この2月は、今年の行事の反省と来年度の行事予定を作業所の先生と父母会の役員会で話し合いを致しました。作業所の皆様の楽しみをどの様にしたら良いのか色々と議論をしました。私の長男も養護学校を卒業してから約二十年お世話になっております。老人の方、身体障害者、心身障害者が一緒に仕事をしている通所施設です。

私たち(父母)が、時々仕事の手伝いをしますが、同じ姿勢で私たちが2~3時間手伝っただけですごく疲れますが、毎日同じことを繰り返す単純作業をみんなが一生懸命仕事をしている姿を見ると頭が下がる思いです。私か安田生命に勤めていた頃は、毎朝出かけるとき、玄関で長男に「今日も頑張ろうね、お母さんも仕事に頑張るからね」と長男にも自分自身にも言い聞かせていました。体の弱い長男は何度も人退院を繰り返ししていましたが、今では丈夫になり毎日作業所に通っております。日々感謝の気持ちでいっぱいです。来年度も又一年ボランティア活動を頑張って実行して行きたいと考えております。


 

■2005年1月

子育てサロンに参加して   鈴木 弘子さん

北海道・札幌市

 

 地域の子育て支援事業に登録して5年。週1回午前中、未就学児とお母さんたちが集う、近所の児童会館の「子育てサロン」に行っています。絵本の読み聞かせや交流行事の際のお手伝いなどをします。

地域の親子が自由に集い、遊びやふれあいを楽しむ場です。さまざまな出会いやうれしい変化があり、人生も後半にさしかかった今、「生命のある暖かいもの-子どもたち」がとてもいとおしく思われます。

 この街で子育てができてよかった・・・と感じてもらえる「ふれあいサロン」にしたい、と願い参加している今日このごろです。

 

 

私の「ふれあい」活動報告  阿部 正さん

宮城・仙台市

 

 昨夏、県の外郭団体「宮城いきいき財団」内に、高齢者の自主的な交流組織「宮城エルダーネット」が設立された。わたしたち同世代に、より魅力的な社会参加の場を提供しようという基本方針のもとで、早速運営副委員長として活動を始めた。JR仙台駅貴賓室や火力発電所の見学、スポーツ大会の開催など地元紙・河北新報にも取り上げられて軌道乗せを図っている。

また、わが2千世帯のマンモス町内会の役員として“子供を守ろう隊”の隊員、や町内会誌の編集委員など自分の趣味の分野をも活かしながら地域活動に励んでいるところです。

 

 

私のボランティア活動・その後  高野 朋子さん

愛知・春日井市

 

 10月29日、雲の多い寒い日でした。私の長男も通っている福祉センターの通所作業施設で、食事会とお楽しみ会がありました。今回のメニューは、五目飯・豚汁・デザート。父母と職員での共同作業です。作業所前の広場で持ちこがれていた子どもたちは歓声をあげ、「おいしい」「おいしい」との声、そして「お代わり」の申しでも多く、好評で作り手もホットしました。

昼からのお楽しみ会は、名古屋の大学の音楽クラブの皆さんと楽器演奏や合唱そしてフォークダンスなど盛りだくさんの内容で楽しい一目でした。

純真な子どもだちとのふれあい、お手伝いをしながらも心洗われる想いです。

 

 

地域の子どもたちと   長谷 静夫さん

大阪・吹田市

 

 走れ!廻れ!突っ込め!いいぞ!大阪高槻市奥坂小PTAソフトボールチームの声援が今日も賑やかだ。このチームは地域の子どもたちのため、町内会のソフトボール大会の運営、指導、応援や夏休みの子どもたちのプールでの体操指導と監視、また、河川敷でのバイキングなどを通じてのふれあい運動を行っています。趣味のビデオカメラでの映像を家族にも送り、笑いとコミュニケーションを心掛けでいます。子どもたちの生き生きとした笑顔を見ることが私自身の活力の源であり、最高の楽しみです。

 

 

私たちに出来る事   平石 義和さん

福岡市

 

 今回はボランティア団体「舞鶴会」での奉仕活動を報告します。

メンバーは18人、毎月第二、第四月曜日に二つの特別養護老人ホームを訪問して、車椅子の手入れ、樹木の手入れ、非常階段の清掃など一日2時間の活動をしています。老人の喜びの顔、職員からの感謝のことばに、私たち自身が元気をもらっています。

皆さんもぜひ地域のボランティアに参加し心のふれあいに接してください。

 

 


 

■2004年4月

ふれあい囲碁・将棋交流会  平石 義和さん

福岡市

 

 この会は、囲碁・将棋を通じて、一般の高齢者のボランティア意識を高め、障害者に対する理解をより深めていただくことが目的で、勝負はありますが、順位には関係のない大会です。平成15年11月20日(木)福岡市社会福祉センター舞鶴園にて行われました。参加者は66名でした。

 私は将棋を習い始めて2年余りですが、役員をおおせつけられ、将棋部で参加しました。この大会で最も注目を浴びたのは、将棋での視覚障害者(全盲の方)と健常者との対局でした。私自身も興味深く見ておりましたので、感じたことを紹介したいと思います。

 将棋の駒や盤は視覚障害者用を使用して行われました。先手は視覚障害者、後手は健常者。駒を指すたびに、役員が読み上げる言葉で進んでいきました。健常者はもちろん、相手の駒の動き、持ち駒すべて分かります。しかしながら、視覚障害者は、自分の手と役員の読みあげる言葉で覚えなけれぱならないのですが、全くハンディを感じさせないのには、見学者一同驚かされました。

 私自身は将棋を習って日も浅く、解説も全くできませんが、どんな人でも、努力し、集中力、緊張感をもつて、楽しくやれば、何事も上達すると、この将棋のふれあいで悟った次第です。

 

 

生かされていることへの感謝とお世話になった社会への恩返しの気持で… 
 牟田 辰雄さん

東京・八王子市

 

 限られた紙面の中で、現在私の「心のふれあい運動」について、その内容まで紹介するのは困難ですので、甚だ恐縮ですが、いきなり、具体的な活動を列挙させてもらいますと、青少年指導員、学校評議員、コミュニティ推進員としての活動などです。

 また、一般社会人を対象とした「心の生涯学習セミナー」、学校の先生方向けには「教育者研修会」の開催お手伝いをしています。これらは、文部科学省所管の社会教育団体 財団法人モラロジー研究所の主催です。

 ボランティア活動をする場合、大切なことは、その動機や心構え、取り組む姿勢が最も重要なことと思います。自分が今日こうして生かされているという自覚、今日までお世話になった社会へのご恩返しの気持が先にあれば、それぞれの置かれた場で、必ずしもボランティアと大げさにいわずとも、いつでも、どこでも「心のふれあい運動」はできるものと思います。

 残された人生、新しい人との出会いによって、共に学び、共に感動し、大いに感激して、新しい自己を発見していきたいものと思っています。


 

■2004年1月

障害児にもふれあいの心を  永藤 顕さん

神奈川・海老名市

 

 私は、出向先の安田生命社会事業団で、子どものこころの問題に15年間かかわっていました。その延長線ともいえる感じで、いま二つのことを実践しております。

 そのひとつは、非常勤講師のかたちですが、ある県立高校で新教育課程で必修科目となった『情報』を週4日教えながら、高校生と接していることです。社友会の『心のふれあい運動』で提唱されている子どもの育成方向と7つの呼びかけのうち、ひとつでもかなえられたらと願っています。

 もうひとつは、在宅勤務で、子どものこころの問題を支援するNPOで事務局長として、心の発達に遅れのある障害児とのふれあい活動を行っていることです。この『NPO法人えじそんくらぶ』は、AD/HD(注意欠陥・多動性障害)を持つ子どもと親、教師を支援している団体で、セミナー・出版・相談などを通じ啓発活動に努めています。

 日本では、諸外国と比し児童精神科医や思春期入院病棟が少ないこと、また医療・教育・相談・福祉の組織が縦割りで、地域で連携できるネットワークの構築が遅れていることなどが大きな問題となっています。欧米のように、障害者が地域で共存できるシステムが社会に定着するように望まれています。この観点からも、社友会の本運動でも、障害児とのふれあいにも目を向けて、その輪がひろがることを願っています。

 

 

私のボランティア活動  高野 朋子さん

愛知・春日井市

 

 お天気が良く温かい日でした。11月14日、私の家の近くにある春日井福祉センターの一角にある通所施設の作業所で、楽しい食事会がありました。

 私どもの長男が、19年間通ってお世話になっている作業所で、心身障害者、身体障害者、老人の人たちが一緒に仕事をしている施設です。年間3~4回の食事会や旅、バザーなどが開催されます。その都度障害者の親たちが、色々とお手伝いをします。

 今日の食事会は、カレーライス、サラダ、デザートなどを皆でつくって作業所の広場で秋晴れの中、通所者全員で食べ、お代わりを申し出る人もいて、皆でわいわいと楽しい一日が過ごせました。

 私が安田生命に勤められたのも、この作業所のおかげだと何時も感謝していました。いろいろと行事があるたぴに、できる限りお手伝いをさせて頂くのが、楽しみな今日この頃です。12月には、一番楽しみにしているクリスマス会が開催されます。今度はどんな出会いがあるのかな?

 

 

「お隣りさん」  池上 武生さん  

福岡・宗像市

 

 わが家の隣に二年前、国際結婚のご夫婦が引越してきた。以来、私たち夫婦に、新風と感動を与えてくれる。

 ご主人はアメリカ人、奥さまは日本人。あいさつに来られたときは「ヨロシク」と上手な日本語。ビツクリだったが笑顔で握手した。その後は顔を合わせると、「ハーイ、元気ですか!!」と声をかけてくれる。こっちは日本的に頭を下げ、「おはようございます」だったが、そのうち「ハーイ」に変化。庭もアメリカ式になり、芝を一面にはり、バーベキューパーティーをよくやっている。我家からその度に、テーブル、パラソル、イスと貸し、時々参加させてもらい、気さくで明るい雰囲気が楽しい。夫婦共同での家庭生活、役割分担、芝刈り、草取り、私も壁塗りを手伝ったことがある。可愛いい娘さんももうすぐ二才。ハロウィーンのときは、シンデレラの格好でわが家に来てくれた。

 先日はケーキを持って来てくれ、「私が焼きました」とご主人。われわれのこともファミリーと言ってくれる。お隣さん今後もヨロシク!!

 

 

 地域貢献への第一歩  糸永 孝也さん

福岡市

 

 在職中、町内会には全く顔を出さなかった私ですが、定年を機に何か地域のお役に立ちたいと思ううち、公民館で行われている「男の料理教室」に昨年10月より参加しております。毎月一回20数名のシニア仲間が集まり、交流する中で若い栄養士先生を囲んで、作って、食べる、実に楽しいひとときです。悲喜こもごも、半生を亘ってこられた皆さんと老後の処世訓を語らっております。

 先日の「文化の日」には、公民館文化祭が小学校であり、300食のおでん作りに励み、男料理の味に参加者より大好評を得ることができました。地域に奉仕するためには、まず地域のことをよく知り、多くの方々との交流から始めなければならないと思います。そのために、町内の清掃や行事に積極的に参加し、できることから始めたいと考えています。






■2003年11月

心豊かなこどもを地域で育む!「こどもクラブ」の活動  唐沢 俊雄さん

埼玉・川越市

21世紀を担うこども達が、「優しさ」や[いたわり]の心をもってお互いに支え合い、助け合いながら力強く生きて行く、心豊かな人間に育って欲しい‥‥そんな願いから、500世帯余の地域の中に、平成11年10月、有志で「富士見ハイツこどもクラブ」を発足させました。

主として小学生・未就学児とその保護者を対象に、①どんと焼き(1月) ②よもぎ採り・草餅づくり(4月) ③田植え
(5月) ④七夕飾りづくり(6~7月) ⑤稲刈り(9月) ⑥自分たちで収穫したお米による「おにぎり作りと食事会」(10月)等の行事を実施し、こども達に自然とのふれあいや、地域伝統行事への参加体験をさせております。そしてこれら諸行事への参画による共働作業や世代間交流を通じて、地域内の大人にもきちんと挨拶のできるこども達の育成を目指しています。

現在、安田生命のOB3名を含む14名の世話人で運営していますが、自治会・老人会・子供育成会(父母の会)等の組織や、近隣の篤志家からも活動資金その他の面で支援協力を得ながら、こども達や保護者とともに楽しみながら活動しています。私どもの活動が市の『広報』にも取り上げられ、「富士見ハイツの新しい文化になりつつあるようです」と紹介されました。私は民生委員をしていた縁で、発足時からこの活動に関わっておりますが、今年の8月からは代表世話人となりましたので、幅広い協力を得ながら、こども達の健全育成のために今後一層の努力を続けたいと思っております。

 

こども達に昔話をしてあげよう!     高野 嘉之さん

栃木・宇都宮市
 

社友会の企画委員会で『心のふれあい運動』の企画に参加していたとき、その実践活動を試行錯誤で議論したことかありました。当時通っていたシルバー大学校の卒論にその時の議論の過程と私なりの結論を纏めて書いたところ、栃木県が主催する「シルバー文化祭」の「わたしの主張」に参加せよと学校から強い勧めを受け、『言葉で結ぶ心の革命』という題で参加しました。参加者は中学生からシルバー族までの各年代別です。

概要は「東京都の7つの心の革命」を土台に実践案を検討したところ、一つ一つは共感でき素晴らしいが、いざ実行するとなるといかに難しいものかと痛感したことや、他人のこどもに話しかけることすらなかなかできないし、チャンスもない。ましてや注意するなど勇気もない。そこで私なりの結論は「昔話をしてあげよう!」そこから何か心に結びつくものが生まれないか!手始めにまずわが子や孫から始めよう!話して驚いたことは、中年になりつつあるわが子ですら聞いたこともないと言います。忙しさを理由に幼かったこどもとの間に会話がなかったことを今さらながら痛感した思いでした。

  「昔の町の様子を話してやろう」。(町の中心を流れる川で鮎やカジカを釣ったり泳いだり・・・ 今はどぶ川に変じており、誰も信じなかった‥・環境保護の大切さ)

  「昔の生活を伝えてやろう」。驚いたことに、今のこどもには興味深く新鮮に聞こえるらしい(各部屋に一台ずつあるテレビも、当時は町に数台しかなく、白黒テレビを大勢で群がって見ていた話や、「寝ている間にご飯が炊ける」当時の人は驚愕の目で広告に見入った炊飯器の話!これも信じ難い話のようでした。テレビのないこどもの楽しみは本を読むことだった!贅沢な環境の戒めと工夫の大切さ・・・貧しい国を理解しろ・‥もっと本を読め)

  「貧しい頃の生活実態」。(ねだっても買ってくれない時代!親も貧乏だった。みんな我慢していた!どうしても欲しければ小遣いをコツコツ貯めたりアルバイトをしたりして一年かかってやっと買った話。好き嫌いは言えない!生卵一個でも大ご馳走だった記憶‥・我慢する気持ちの大切さ‥・贅沢な環境の戒め・‥我儘は言わない)

  「昔の生活習慣と行事を伝えてやろう」。(節分・初午・お月見・墓参り・・・等々)

  「戦争の悲惨さと平和の尊さ!戦後の貧しい体験」。(実体験者はわれわれで最後になる年代です‥・いま住んでいる町で空襲にあい逃げ回った話!当時の不便な交通機関・・・)

シルバー族に呼びかける内容で纏めたものです。昔話をすると馬鹿にされる?思い違いでは!好奇心旺盛でこどもばかりか若者も興味を持つようです!歴史を教えると思って!

こんな内容の話をしたところ、たまたま県知事賞を受賞してしまい、ビックリするやら恥ずかしいやら、他の人たちに申し訳ないやらで、汗顔の至りでした。本誌編集委員からのたってのお勧めで寄稿しました。最後に企画委員の皆様にも深謝致します。

 

 

■15年9月

“男も腕まくり子育て支援”    笹倉 武史さん

兵庫・西宮市

 子育てに悩む母親らが増える中、経験豊富なシニアの私どもがお役に立てるものと、子育で支援活動を続けています。ナルク丹波はNPO法人ナルク(ニッポン・アクティブライフ・クラブとして1994年に発足し、介護から始め、今では子育て支援活動も展開)の支部として、私が私の故郷で2年前にスタートさせました、現在では会員数117名と丹波では有名なボランティア団体となっています。

昨年11月25日付日経夕刊に掲載された、“男も腕まくり子育て支援”記事を転載し活動の一端を報告します。

『ナルク丹波のシニア男性3人、女性2人が兵庫県水上町の町立児童館で学童保育に集まった小学生低学年の子ども約15人におもちゃ作りを指導。この日子どもたちが作ったのは、風船を飛ばすおもちゃ。密封したダンボールの両脇を思いっきりたたくと風船が飛ぶ仕組み。子どもたちは飛ぶ高さを競ったりして遊ぶ。遊び指導だけでなく、小学校から児童館・自宅までの間の送迎もしている。ナルク丹波事務局長の笹倉武史さんは「子どもたちのためにやれることはたくさんある」と話す』。

これは「三世代交流・子育て支援活動」の一つ「あそびのひろば」の様子を取り上げたものです。毎月第4土曜日に「昔の遊び」「手作りおもちゃ教室」、野外活動として「野遊び」など多彩なプログラムを実施しています。

※笹倉会員はNPO法人ナルクの常務理事も兼務されています。

 

 

私のボランティア活動       平石 義和さん

福岡市

私がボランティアに初めて参加したのは定年1年後です。現在月に最低10日参加しています。定期的には団体2回、個人2回、あとは福岡社会福祉協議会ボランティアセンター紹介で6回、全て福祉関係だけです。私が最近とくに心うたれたのは、3月23日から30日の8日間、特別養護老人ホーム『はなみずき園』が企画した花見に同行した時のことです。車椅子の必要な人、一人で歩くことが出来ても同行者が必要な人、皆遠足気分でこの日が来るのを心特ちにした人達でした。花見では全員がさわやかな顔で参加して私自身のためにもなりました。介護目的は、

 (1)日常生活での出来ない部分だけ介護

(2)人間性の尊重

(3)自立が目的

と聞いていましたが、その意味が少しわかりました。今、高齢者の虐待が問題とされていますが、社会福祉に関心があればもっともっと減らせると信じました。


 

■15年7月

わが街を愛す      山田 武良さん

千葉・柏市 


ふるさと協議会

柏市には、市と町会・自治会の中間機構として、ふるさと協議会の制度を設けています。

当協議会は24の町会・自治会と15の行政委託団体を擁し、100名ほどの人員で活動しています。協議会には総務、防災、文化、体育、環境の部門があり、町会・自治会および行政委託団体と連携しての事業または抵触しない分野での事業を行っています。 

私は自治会長をやった契機で協議会に入り、活動して7年になり、現在は副会長をしています。柏市や千葉県知事から、活動の実践優良者として表彰を受けました。

リサイクルプラザ

もう一つ、柏市のリサイクルプラザの仕事があります。リサイクル作業の外に環境問題啓蒙活動を行っています。私は市のゴミ減量推進の活動が認められ、啓蒙活動部門の初代事務局長に任命されて活動しています。環境に優しい社会を目指して、根気良く続けていきます。認められることは、嬉しいことであり、やりがいを覚え、社会のために尽くすことをモットーとして忙しいながらも、楽しく過ごしています。

 

 

町内会およびマンションの役員  魚屋 保さん

北海道・札幌市

札幌市南区川沿第1町内会副会長および町内会の中のマンションの理事長を務めています。町内会の副会長は144月から、マンションの理事長は1412月より行っており、とくに町内会の役目は福祉委員を同時に行わなければならず、手さぐり状況ではあるが頑張ってみたいと思います。今後の課題として町内全体がバリアフリーにしたいと考え、まず当マンションから何かを始めなけれぱと考えているところです。

 

 

■15年5月

人とのふれあい        橋口 定巳さん

福岡市

 

福岡市に住みついて19年、生活環境が気に入って永住を決めた。定年後三年目から自治会の手伝いをはじめ、地域活動の中でなにか役に立ちたいとの思いから町世話人などを引き受けて四年になる。

私の住む青葉校区は、福岡市でも模範的な校区で、人尊協が中心となって明るく住みよい街づくりを目指して真剣に取り組んでいる。自分にとっても、老人会や子供会などのボランティアの方々と週二回ほどのふれあいの場がもてることが楽しい。その機関紙の刊行物に、当社友会の「心のふれあい運動」について趣旨などを掲出したら、素晴らしい会社だ、と大へん関心を呼んでいる。

福岡に住みついて地域の方々とふれあい、こうしたふれあいの中で年を重ねていき、元気な老年であり続けたいと考えているこのごろです。

 

 

地域の人たちとの大切なふれあい    山田 勝也さん

東京・町田市

 

私の住む町田市玉川学園町内会は、約四千世帯を擁する超大型の町内会です。軽い気持ちで、町内会の環境部長を引き受けて以来、すっかり生活のリズムや人との付き合いが一転しました。会社人間が地域人間に変わったからです。

先住の人たちが築いたかけがえのない街を守り、いかにして住みよい環境を維持してゆくかが、他人ごとではなくなりました。住む人の職業もいろいろで、サラリーマンのOB・現役、弁護士、建築家、作曲家、タレント、司会者、学者などさまざまな人たちが会員です。毎月、こうした人たちと会合をもち、街の環境問題を話し合います。動物学者は自然環境と動植物、野鳥の生態を説き、建築家は環境マスタープランを語り、まさに地域人間のふれあいの場が盛りあがるときです。

この街には、全国でも例が少ない活動があります。小田急線玉川学園前駅構内に「善意の傘」タナが二ヵ所設置されていて、傘の共有がなされています。過日、アエラの記者が取材に来ていました。また、先きには、「善意の傘お絵かき・ぬり絵大会」を開きました。玉川大学の先生と学生、同じ町内に住む漫画家の先生にも企画の段階から参加していただきました。集まった児童には、傘にペイントマーカーで自由に絵を描かせていました。

他にも、リサイクル施設の見学会を企画したり、ポイ捨てごみ撲滅キャンペーンを行ったりして、“地域人間只今多忙中”というところです。今年も、わが年齢(とし)を忘れて、人とのふれあいを更に楽しみたいと思います。

 


 

■15年3月


子供たちの自然観察指導で充実した日々に生きがい   荒川 幸男さん

福島・郡山市 

1978年、縁あって野鳥の会に入り、以来、自然保護に関心を持ち、環境省、福島県、日本野鳥の会、日本自然保護協会から自然観察指導者の認定を受け、本年から総合学習がスタートしました。

県内はじめ首都圏の小中学校で自然体験学習に取り組む学校が増えており、その指導に携わり子供達と元気に学習ができる喜びを感じています。虫が嫌いな子供に自然の中での命のつながりについて土壌を掘って気づかせ、光合成については、深呼吸させ都会の空気とを比較しての感想を聞き、葉の裏の気孔をルーペで観察し、燃料革命が地球温暖化をもたらした主な原因であることから、自然の仕組みについて話をすすめます。帰校後、子供達から便りをもらうことがあります。たとえば、

-『荒川先生から、植物の葉は二酸化炭素と水と太陽の光で酸素を作る生産工場だとの話を聞いて、そんな大事な自然を壊していく人間は「ひどい」と思えるようになりました』

-『私が一番心に残っているのは、朝4時半からの活動でした。きれいな鳥の声がラブコールか、警戒の声か、寝ぼけている声かなどを聞き分けるのはすごいと思った。また、ぽっちゃりとした「ヒキガエル」にかけたあのやさしい言葉に私は“ノックアウト”です』など。

こういった子供達の言葉に励まされこれからも自然を友とし、その中から自然と人間の共生を学び取れる子供が一人でも多く輩出してくれることを願って、日々マンネリ化しないよう精進を重ねていきたいと思います。

 

 

1級審判の資格取得をめざして「一球確審」      吉岡 謙次さん

東京・町田市

私は現在、「町田市軟式野球連盟」の公認審判員として地域の皆さんとボランティア活動をしています。若い頃から野球に熱中し、野球ファンの一人として定年後は野球にかかわっていきたいと常々考えておりました。たまたま「広報まちだ」に審判員募集の記事を見て思いきって応募しました。

日頃の活動は、春季・秋季市民野球大会、産業人野球大会、団地野球大会などの審判および他支部(八王子・日野等)への派遣、審判技術講習会、ルールブック等の勉強会参加などです。

現在支部所属の審判員は20数名ですが、一日の試合終了後にそれぞれの球場のできごとを持ち寄って、反省しながら飲む酒は最高です。とにかく野球好きな大の集まりなので、ストレスの解消にもなります。クレームをつけられたり、ヤジをとばされることも多々ありますが、試合終了後両チームの選手から「ありがとうございました」といわれた時は審判冥利につきます。

私の夢である「1級審判の資格取得」をめざして、今年も「一球確審」で頑張りたいと思います。

 

 

ソフトボールシニアチーム監督として<談話>    鎌田 雄毅さん

神奈川・横浜市

定年後の鎌田さんの活動は多岐にわたる。横浜市社会福祉協議会・横浜市ボランティアセンターのコーディネィター、横浜ふくしネットワークのオンブズパーソンの仕事をこなしながら、一方では「かながわスポーツボランティアバンク」の広報委員長、泉区ソフトボール協会の副理事長として活動を続けている。

その中でも生涯スポーツとして、ソフトボールとの関わりは長い。現在はシニア(60歳以上)チームのプレーヤー兼監督として34名のチームメイトと週2回の練習に励んでいる。これまでも横浜市、県代表として関東大会、全国大会に数回出場を果すほどの実力を誇っている。また、ソフトボールの普及活動の一環として地域の中学校の子供達のクラブ活動に週1日お手伝いをする。

終の棲家としてこの地に20年、スポーツを通じ地域との交流をはかりながら、更にはハイシニア(68歳以上)チームの結成を目指すなど、スポーツ好きが生涯現役として楽しめるソフトボールの発展に力を注いでいる。

鎌田さん自身、実は5年前に心臓病を患い人工弁を置換する大手術を受け、今も月1回メディカルチェックをうけている。それでも以前よりは息切れや動悸がなくて、むしろ動きやすいと元気とパワーに溢れている。

 

 

“気がつけば、ちびっ子と向きあう自分がいた    岩田 惇さん

東京・立川市

退職直後昨年7月の地元花火大会当日、町内の奥さん達とスーパーヘ食料調達。帰ってきて家の前の通りに屋台を設営、花火の打ち上げにつれ路上の宴会も最高潮、話題が飛び交う中、メインテーマは子供達の話になった。結論は「もっと地元の子供達に関心を持とう。礼儀も躾もコミュニケーションの中から身につくもの、あら捜しの前に働きかけを増やそう」となった。さあ議論百出!

「町内会を結成し、子供との交流の場を作ろう」

「スポーツを通して心のぶつかり合いの機会を作ろう」等々。

花火は既に1時間前に終わっている。それでも各々の口からは「尺玉」「仕掛け」並の意見の連発である。日頃静かな奥さん達も熱心に参加し、6時からの宴会も既に10時を回っている。そして役割分担も決定、小生が地元少年野球チームのコーチに就任、町内会作りの段取りも最長老(気がつくと自分だった)が引き受けることになった。飲み会の決定事項ゆえ不履行厳禁!

思いがけず役目が多くなり忙しいスタートとなったが、小学校から会社に入っても好きな野球をやり続けられた恩返しとして、少しでも地元のちびっ子達の役に立てばという思いである。その前にまだ野球をやっていたい自分があるのかもしれない。

■2023年1月

私のボランティア活動 後藤 清人さん

スクエアステップ体操の指導活動 塚田 庸子さん

暮らし通せる地域づくりに取り組む 花谷 亨さん


■2022年1月

岡山自主夜間中学校の活動 木内 英豪さん

子どもたちに囲碁を普及 信江 峻さん

私のボランティア活動 蓮本 正明さん


■2020年1月


毎日続けて35年「みどりのおばさん」 末澤 朝子さん

出前芝居のボランティア活動 長 勲さん


■2019年1月

東京マラソンのボランティア活動 喜多村 勲さん

傾聴ボランティアのススメ 木下 敏夫さん

上高地公園ボランティア活動に参加して 溝口 清志さん


■2018年1月

高円寺子ども食堂 石川 千明さん

中学校のボランティア先生 水上 健さん

豊四季の木釘 染谷 幸弘さん


■2017年1月

特別養護老人ホーム等にボランティアを行って 松倉 武司さん



■2016年4月

井の頭恩賜公園のかいぼりと湧水       神 孝之さん


■2016年1月

つりびな墨俣小町巡り            遠山 志女子さん

スポーツ吹き矢体験教室           下ノ村 勲さん



■2015年4月

幸せのボール                玉置 幸子さん

本卦還りの人生               中村 幸司さん



■2015年1月

趣味を活かして田畑を護る          吉田 誠司さん

人生の第二ステージを元気で楽しく      中山 照彦さん



■2014年4月

「お弁当配り」のふれあい          野口 功さん

食生活改善委員として            野村 喜美子さん


■2014年1月

磯田氏と私のコラボ             小原 昭彦さん

小さな力でも大きな力に           林 文昭さん

■2013年4月

趣味は人を救う                 林 文昭さん

少年サッカーを通じて、子ども達から元気をもらう 佐藤 英夫さん


■2013年1月

通学案内交通指導で             石井 文成さん



■2012年4月

趣味を生かして介護施設訪問         原田 昌子さん

ふるさとでの「観光ボランティア」      丸山 博之さん

 

■2012年1月 

東日本復興支援ウォーキングに参加して    福澤 利夫さん

ウクレレ奏者と共にオカリナ演奏       山崎 繁さん

 

■2011年4月

地域貢献活動について            吉田 孜さん

籤であたって「母の会」のお手伝い      山崎 和枝さん

縁あって地域活動に             橋本 直矢さん


■2011年1月

真心のふれあい               大島 喜代子さん

地域の活動に参加して            岸本 文彦さん


■2010年4月

留学生と子ども会の交流           小原 昭彦さん

将棋を通して子どもたちとふれあう      小林 博次さん


■2010年1月

「ジョギングスクール」からマラソン全国大会への参加 福地 賢介さん

ふれあいは、相手を思う気持ちから!!    杉本 成康さん

 

■2009年4月

心をつなぎ、町おこし            遠山 志女子さん

 

2009年1月

母校卒業生との「心のふれあい」       川村 妙子さん

「地域興し」と子どもたちの活躍       滝川 登志子さん

子どもたちも「伝統文化」を紡いで      宮野 勝さん

 

■2008年4月

私の「心のふれあい運動」活動        伊藤 厚子さん

 

■2008年1月

市ぐるみの「心のふれあい」         柴垣 睦子さん

空き缶・プルタブ回収で車椅子贈呈      後藤 清人さん

 

■2007年4月

老人ホームでのひととき           吉田 邦彦さん

子育て支援に取組み6年経過         笹倉 武史さん

高齢認知症の介護に携わって         中野 陽一郎さん

 

■2007年1月

わが町の高齢者ボランティア活動について   寺岡 烈さん

活動状況報告                宿野 健一さん

 

■2006年4月

「区民寺子屋事業プロジェクト」の一員として 宇野 恵美子さん

「おむつ」縫い、施設の子供たちとのふれあい 坂本 カツさん

趣味を生かす地元の小学校との交流と協力   坪田 茂二さん

 

■2006年1月

少年剣士を育てる              竹中 主也さん

素晴らしきセカンドライフ          伊藤 智子さん

 

■2005年4月

わが町のふれあい活動            徳重 忠男さん

障害を持つ子ども達と共に          高井 毅さん

私のボランテア活動・パート3        高野 朋子さん

 

■2005年1月

子育てサロンに参加して           鈴木 弘子さん

私の「ふれあい」活動報告          阿部 正さん

私のボランティア活動・その後        高野 朋子さん

地域の子どもたちと             長谷 静夫さん

私たちに出来る事              平石 義和さん

 

■2004年4月

ふれあい囲碁・将棋交流会          平石 義和さん

生かされていることへの感謝とお世話になった社会への恩返しの気持で …
                      牟田 辰雄さん

 

■2004年1月

障害児にもふれあいの心を          永藤 顕さん

私のボランティア活動            高野 朋子さん

「お隣りさん」               池上 武生さん  

地域貢献への第一歩             糸永 孝也さん



■2003年11月

心豊かなこどもを地域で育む!「こどもクラブ」の活動 唐沢 俊雄さん

こども達に昔話をしてあげよう!       高野 嘉之さん



■2003年9月

“男も腕まくり子育て支援”         笹倉 武史さん

“私のボランティア活動           平石 義和さん



■2003年7月

わが街を愛す                山田 武良さん

町内会およびマンションの役員        魚屋 保さん



■2003年5月

人とのふれあい               橋口 定巳さん

地域の人たちとの大切なふれあい       山田 勝也さん



■2003年3月

子供たちの自然観察指導で充実した日々に生きがい 荒川 幸男さん

1級審判の資格取得をめざして「一球確審」   吉岡 謙次さん

ソフトボールシニアチーム監督として<談話> 鎌田 雄毅さん

“気がつけば、ちびっ子と向きあう自分がいた” 岩田 惇さん


『心のふれあい運動』活動状況 /これまでの「社友会だより」「友和」掲載分

 平成14年5月の安田生命社友会総会で、高畠会長(当時)が社友会50周年記念行事の一つとして「心のふれあい運動」を提唱されました。その基本理念は「戦後のわが国は生活の豊かさを求め、大きな経済的発展を遂げてきた一方で、少子化の進展や核家族化の進行等により生活環境が大きく変化した。さらに家電製品やハイテク機器の普及等により、家族単位から個人単位へ、精神的価値よりも物質的価値、社会的責任よりも権利意識が優先するなど、意識構造の歪みが子供たちの態度や行動にも反映して、人間として最低限守らなければならない社会における基本的ルールが守られなくなった。そこで、人生経験豊かな社友会会員が折に触れ、機に及んで先ず身近な子供たちに思いやりの心や、社会構成員として最低限守らなければならないマナー等を勇気をもって助言し、明るい社会造りに貢献するため、この運動を展開していきたい。」というものでした。

その後、対象は子供たちから老人や心身が不自由な人など社会的弱者などに大きく広がり、活動内容も地域や趣味の会などでの継続的にボランティア活動などに従事する人など多岐に亘っています。

その運動の一端が、年2回「社友会だより」に毎号掲載されてきましたが、平成29年(2017年)1月以降は「友和」誌に掲載されています。